JFKからマンハッタンへ向かうタクシーの中で。

JFK空港に着いて、僕の住んでいる(いた?)マンハッタンに向かうのには、いつもイエロータクシーを使う。

タクシーの中から、マンハッタンが近づく。

これを何度いったいしたのだろうか?100回は繰り返しているのだと思う。その度に、いろんな事を感じる、しかもかなり強い思いが湧いてくる。成田空港から都心にも、なんども通ったのだけれどそんな強い感情を持つ事は今までない。なぜかJFKからマンハッタンへの道のりでは、いつでも強い思いを感じるのは、それだけNYという街が強い何かを持っているからだろうか。

今回の成田からニューヨークのフライトはとても空いていた。5席を一人じめ。こんなことは、2001年のテロ事件の後以来のことだ。海外に脱出したい、あるいはするべき人は、どうも既に日本を出てしまったのだろう。それに旅行という気分になれないこともあって、空いているのだと思う。

いつものように、入国審査員は、アメリカ特有のザックバランな、ちょっとラフで、ちょっと親しげなマナーで、「Welcome Back to US」だ。僕を担当したのは、立派な体格なエクアドル出身のSalasという名の30代の男だった。どうしてそんなことが分かるかって。それは立派な軍服みたいな制服に名札がついていて、そして、僕は なにか大抵は無理矢理にでも話かけたりするからだ。阿呆な僕は、なにかニコニコ話しかけるとスムースに入国させてくれると思っている。でもこんなことで、スムースに事が進むのは、僕の経験では、NYとラテンの国や南の国だけだ。それでも、いつも僕のほうから話しかけるのは、なんかきっと自分にやましい気持ちが湧いてくるからだろう。でも、タイや日本では、声をかける余裕も見せてくれない。

大きなスーツケースが二つに、小さなラゲッジがひとつに、バックパック。度慣れているはずなのに、いつも荷物が多い。ラゲッジが出てくるところでは、隣は、セイント・マーティンから、その隣は、ジャマイカからのフライトだった。お客たちは日焼けしていて、暢気な帽子をかぶっていたり、半ズボンや、スリーブレスだったり。なんか今回の緊迫した東京から来たら、ホッとさせられた。地球全体では普通に動いているんだなあと感じた。

とにかくスムースに入国して、イエローキャブに乗る。大抵のタクシードライバーは、話好きだ。僕が東京から来たと知ったら、勿論今回の地震と津波のことをいろいろ聞いてきた。それに原発のこと。タクシードライバーは、大抵移民だ。英語にも訛りがあるのが普通。彼はエジプト人だった。こうなると勿論、今回の革命から9月に予定されている選挙のことなどについて、僕が聞くことになる。

今年の世界情勢は、いろいろ大変だ。そういうことを肌で感じる、そういう街がNYだ。

今回のタクシードライバーはエジプト人だった。

夕食は古くからの友人とソーホーで食べる。やはり地震と津波、そして原発のことが話題になる。原発の今後の状況で、日本の信頼は大きく左右されるのは確実だ。それよりも、やはり一人一人の命がどのくらい大切にするのかが、僕らに問われている。僕が一ヶ月後には東京にもどると言うと、それは自殺行為だと、彼らは言う。でも、僕は戻るつもりだ。ここに居る間に、別の見方から考えることができると思っている。

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