ホリディ・シーズンに想うこと。

日本でクリスマスと正月を過ごすのは、本当に久しぶり。

このシーズンに毎年、強く考えることがあります。上手く表現が出来るか分かりませんがトライしてみます。

11月から1月にかけてのホリディ・シーズンは、Happy Holidays (Holidayという単数ではない)というくらいに多くの人達にとってのホリディーシーズンです。アメリカの感謝祭から始まって、クリスチャンにとっては、クリスマス。多くのラテンやヨーロッパ人にとっては、エピファニー(公現祭)やユール、ユダヤ人にとってはハヌカ、インドではディーワーリー、アフリカンアメリカンにとってはクワンザ、そして年末、新年、、。とにかく沢山の人間にとってお祭り、そして祈りの季節です。

沢山の人がお祈りをすると、確かになにかが変わります。良い意味でも、悪い意味でも、影響が大きいと思います。ニューヨークで過ごす、このシーズンは特にそれを感じました。宗教というものが土台にある社会でもあるわけで、沢山の人がお祈りをしているのをひしひしと毎年感じていました。僕も多くの祈りと感謝の強い体験を実際に受けました。クリスチャンでもないのに、いつもミッドナイトのミサに出席して、プエルトリコのエピファニーなどで、かなり神聖な体験もしました。

と同時に、とても寂しい思いも体験しました。家族や宗教が土台になっているフェスティバルで、自分が属するところがないという実感は、やはり説明できないものがあります。それをテレビや、ちょっとしたエンターテイメントで紛らわすのは、つまらないけれど、そうせざるを得なくなるところも理解できます。

実際、このシーズンが自殺の最も多い時期。僕の知っている方も二人も、この時期に自殺をしてしまいました。

ニューヨークに住み移ってから、7年くらだったかなあ、とにかく酷い不眠症と落ち込みが続きました。孤独感と言ってしまうと簡単ですが、それが数年も続きました。このことは、いつかお話してもいいのかもしれませんね。とにかく睡眠が2時間というような日々が1年以上続きました。瞑想も太極拳も、エクササイズもしていてもです。それでも仕事はきちんと進めていましたし、親しい友人だけが、その事を知っていました。そういう時に限って、ホリディに行く所がない、一緒に居てくれる人がいない。気がついたら一人きりで、開いているレストランもほとんど無い。

実は、その時の僕の親友も失恋で落ち込んでいました。どうにか誰かのパーティにでも参加しようということで彼の親戚のパーティに行ってみたところ、そこで有名な精神科医と出会い、二人でいろいろ相談したりもしました。相談をするとするほど、もっと落ち込んだ。その有名な精神科医が翌年に自殺をしてしまいました。彼の呟いていた言葉を今でも覚えています。「人とお金は、来たり去ったり。そういうものだからねえ。」僕には、その時にも今でも、そう思えません。お金と人は違う。お金は去っても、大切な人は去らない。もし逢わなくなっても、決して去らない。心の中から、決して去らない。

別の友人のお父さんも、ある年のホリディ・シーズンに自殺をしました。その家族は、かなりのお金持ちでマンハッタンの素晴らしいアパートに住んでいて、本物のゴッホの絵などもありました。行く所がない僕は、彼らのユダヤ教の夕食にも何度も参加しました。夏になると由緒ある別荘地にも行きました。その家長が自殺をしてしまったのです。その後、相続問題がゴタゴタしたらしい。

どんな人でも、自分を破壊したくなったり、自己憐憫に落ち入ったりするものです。人によって、どういう時に自己破壊や憐憫になるかを観察しておく必要があります。避けるのではなく、対処する必要があります。僕も何回も、そういう経験があります。そういう経験が出来るということが、孤独になるいい点かもしれません。孤立や孤独や挫折がいろいろ教えてくれることが、後になって分かります。

僕と多くの僕の友人たちは、そしてこれを読んでくれる皆は、とてもラッキーです。食べるものも、住むところも、友人もいる。概ね健康で、考えることも感じることも、多くの選択もできます。世界には、今現在そういう状況にない人が沢山います。沢山見てきました。そして嘗て、今まで生きてきた大多数の人間は、僕たちのようにラッキーではなかったわけです。

だから、僕たちは、この幸せを充分に生きていく必要があるだと思います。できるだけ、楽しく、そして出来るだけ無駄にならないように。

いろんな想いと祈りの舞う、このホリディシーズンに、商業主義の祭り騒ぎで、人間をあんまり寂しくしたり、孤立させるのは、本当の祈り、ホリディの本当の意図を無駄にはしてしまわないかと危惧します。

祈りと瞑想を、あんまり混ぜることをしないようにしている僕ですが、このシーズンは積極的に祈りと瞑想を混合しています。宗教の無い僕は、どんな宗教の祭りにも、基本的には参加しているつもりになっています。

まとまりのない想いを、そのまま書いてみました。(いつでも、そうか!)

Happy Holidays !

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