「100歳まで、元気に幸せに、有意義に、生きる」

「僕たちは、100歳まで生きてしまう可能性が高いのですよ。だから、それに準備していかないと」と言うと多くの人が「そんなに生きたくない。はやく死ぬから良いよ。」と良く言います。

現実は、事故がないかぎり、ほとんどの人は100くらいまで、あるいは、もっと長くいきるようです。すくなくても現代の日本人やヨーロッパ人は。

理由はいくつかあります。

食べ物が良い。昔の食物の方が良いと良く言いますが、今は、なんでも手に入れられます。

つい最近までは冬には野菜がほとんど無かった、山に住む人には新鮮な魚が手に入らなかった。今は、ちょっと注意さえするとある程度健康に良いものがなんでも手にはいります。

医学の進歩。このままの進歩が続くと、そんなに簡単に死なせてくれません。

以前はどう死んでもらうかということが重要でしたが、今は、どうやっても生かしておきたいということになってきています。生かそうとするほうの気持ちは、良くわかります。しかし、生かされているほうは、どうでしょうか?

衛生が行き届いている。放射線や公害の問題は確かに大きな問題です。それ以外は、衛生的な生活状況です。これも今までの人間は、経験してきたことのないような状況です。

だから、僕は事故がないかぎり100まで生きると考えておいたほうが良いと思っています。

事故というのは、交通事後や怪我のような事故だけではなく、大変な病気にかかること、急に仕事がなくなるとか、家族がいなくなるとか、いう心的ダメージ、戦争や大災害なども含めてのことです。

ここで問題になるのは、どのくらい長く生きるかではなく、質の問題です

もちろんいつ死ぬかわかりませんが、死ぬギリギリまで、できるだけ健康で、楽しく、有意義に生きたいというのが、願いです。

その為にはなにをしたらいいのだろうかと、いろいろ試行錯誤しています。多くの健康法や食事療法は、かなり短期的な効果を求めています。多くの成功法もかなり短期的です。そうしてみると東洋の訓練方法は、かなり有効に思われます。

太極拳や気功、ある種のヨガ、そして、なによりも、瞑想と呼吸法です。

それから、重要になってくるのが、他の人に役に立っているかどうかです。他の人とシェアしているかです。

100歳まで元気に生きていた人は、どの時代にもいたようですが、その方たちは、特に恵まれた遺伝子を持った方達で、ほとんどの人は50歳くらいでは亡くなっていました。でも、これからは、我々のほとんどが長生きをしてしまいそうです。だから、今からその為にトレーニングをしていく必要があります。ココロとカラダのトレーニングです。

と、同時に、今日が最期の日かもしれない。だったら、どうして生きていこうかという問いが、同時になされる必要があります。

そんな、願いが毎日の短い瞑想に籠っています。

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