スフィーのセマーダンス(旋舞)。回る回る、そこには瞑想があった。
- 2012.05.23
- その他
ルーミー(rumi)が、僕は大好きだ。
というのは、かなり傲慢かもしれない。というのは、何冊もルーミーの本は持っているものの、読んでも良くわからないし、一冊も読み終えたものも無いからだ。
でも、なにか大好きだと言いたくなってしまうものがある。それは、老子や、ガルシア・マルケスや、ソクラテスなどと同様な、読まなくてもその本を手に取るとなんか、好きになってしまう、そういうものがあるような気がする。
ルーミーはペルシャと思っていたけれど、そうだ、トルコに彼の残すものが生きていたと、イスタンブールの街を歩いていて、ふと思った。
そしたら、目の前にマーダンス(旋舞、スフィーダンス)のちらしがあった。
男性が長いスカートのようなものを着て、くるくる回る神秘的なダンスというか、セレモニー。テレビでは見た事があるけれど、実際には見た事が無い。
デデ・エフェンディというメベレヴィ音楽では、もっとも有名な作曲家が住んで、音楽を教えていた場所で行なわれているということなので、行ってみることにした。観光的になりすぎているものなら見たくなかったからだ。
無言で始まる音楽。ネイという縦笛は、どこか尺八の音と同じだ。レバーブという弦楽器もクドゥムという打楽器もアジアの音だ。メロディも和音も西洋のものではない。なにかホッとするものが、僕にはある。歌も、コブシがきいているオリエントの声だ。中国の音楽よりもインドの音楽よりも、日本のものと近い感じがする。
無言でダンサーが現れる。くるくる回る。小さな部屋で、僕は一番前に坐っていたので、風が舞うのを直に感じる。
男たちが、くるくる回る。ちょっと首を横にして、手を上げて回る。長い帽子が天に繋がっているようだ。
パフォーマンスのようになにか表現することもなく、音もたてずに回り続ける。曲が終わると止まって、自分を抱きしめるようにして腕を組む。
また回る。
表情は特にないけれど、しずかなエクスタシーがそこにはある。
拍手は、禁止。黙って観る。
早く回っているけれど、止まっているような、なにか禅や能の美を感じた。
TaoZenでおこなう気功や太極拳、小周天にも繋がるものが、この空間には確実にある。
ルーミーの詩を歌っているものが多かったらしい。
いまでも、セマーのスカートが作り出す風を、曲の間の静けさを感じる。
ルーミーの言葉:
“Your task is not to seek for love, but merely to seek and find all the barriers within yourself that you have built against it.”
― Rumi