スフィーのセマーダンス(旋舞)。回る回る、そこには瞑想があった。

ルーミー(rumi)が、僕は大好きだ。

というのは、かなり傲慢かもしれない。というのは、何冊もルーミーの本は持っているものの、読んでも良くわからないし、一冊も読み終えたものも無いからだ。

でも、なにか大好きだと言いたくなってしまうものがある。それは、老子や、ガルシア・マルケスや、ソクラテスなどと同様な、読まなくてもその本を手に取るとなんか、好きになってしまう、そういうものがあるような気がする。

ルーミーはペルシャと思っていたけれど、そうだ、トルコに彼の残すものが生きていたと、イスタンブールの街を歩いていて、ふと思った。

そしたら、目の前にマーダンス(旋舞、スフィーダンス)のちらしがあった。

男性が長いスカートのようなものを着て、くるくる回る神秘的なダンスというか、セレモニー。テレビでは見た事があるけれど、実際には見た事が無い。

デデ・エフェンディというメベレヴィ音楽では、もっとも有名な作曲家が住んで、音楽を教えていた場所で行なわれているということなので、行ってみることにした。観光的になりすぎているものなら見たくなかったからだ。

無言で始まる音楽。ネイという縦笛は、どこか尺八の音と同じだ。レバーブという弦楽器もクドゥムという打楽器もアジアの音だ。メロディも和音も西洋のものではない。なにかホッとするものが、僕にはある。歌も、コブシがきいているオリエントの声だ。中国の音楽よりもインドの音楽よりも、日本のものと近い感じがする。

無言でダンサーが現れる。くるくる回る。小さな部屋で、僕は一番前に坐っていたので、風が舞うのを直に感じる。

男たちが、くるくる回る。ちょっと首を横にして、手を上げて回る。長い帽子が天に繋がっているようだ。

パフォーマンスのようになにか表現することもなく、音もたてずに回り続ける。曲が終わると止まって、自分を抱きしめるようにして腕を組む。

また回る。

表情は特にないけれど、しずかなエクスタシーがそこにはある。

拍手は、禁止。黙って観る。

早く回っているけれど、止まっているような、なにか禅や能の美を感じた。

TaoZenでおこなう気功や太極拳、小周天にも繋がるものが、この空間には確実にある。

ルーミーの詩を歌っているものが多かったらしい。

いまでも、セマーのスカートが作り出す風を、曲の間の静けさを感じる。

そこには瞑想が回っていた。

 

ルーミーの言葉:

“Your task is not to seek for love, but merely to seek and find all the barriers within yourself that you have built against it.”
― Rumi

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