ネルソン・マンデラ氏の死に想う。

朝起きて、僕はiPadでニュースを読むのが日課の1つだ。

ネルソン・マンデラ氏が亡くなったというニュースが今朝入ってきた。

ずうっとご病気ということで、ビックリはしなかったけれど、大きなヒーローのシンボルが亡くなったことは確かだ。

すぐに、Lady Black Smith Mambazoの音楽を聞いた。どうも感傷的になると、僕はそれに関係する音楽を聞きたくなるようだ。

 

10年くらい前だったか、南アフリカで「瞑想と観音気功」を教えたことがあった。

生徒の家に泊めてもらった。大きな家だったけれど、銃をもったガードマンが24時間いた。

 

そんな中でも、ネルソン・マンデラの存在の大きさを実感した。

キューバでのチェ・ゲバラ程ではないとしても、大きなシンボルであることは確かだ。

 

僕が大好きで良く使わせてもらっている南アフリカのNguni語の言葉がある。

UBUNTUという言葉。これを説明する適切な言葉がないと言われている概念で、

” I am because you are” とか”I am what I am because of who we all are”と訳されている。

侘び寂びが、他の言葉で訳せないような感じのことだとは思うけれど、僕はこの言葉が大好きだ。

ネルソン・マンデラ氏もこの言葉を使用していたらしい。

僕のイメージは、広い荒原で男が1人歩いていて、他の男が現れて、お互いに知らないけれど同じ方向にあるいているのでニコッとわらって何も言わずに一緒に歩いていく。そこに子供づれの女性が現れて、やはりニコッとして一緒に歩いて行く。なにも言わないけれど、皆がケアをして歩いていく。どこの誰だか知らないけれど、ケアをしている。1人の男が別の方向に別れる。その時も皆、眼でニコッとして、心から元気でねと。

この一言で、もっともっと沢山のイメージや、ストーリーが浮かんでくる。

とにかく1人ではないということだ。繋がっていて、自然にケアをしているという感じだ。

 

ネルソン・マンデラの残した名言はいっぱいある。

今朝のニューヨークタイムスには、沢山載っていた:

The greatest glory in living lies not in never falling, but in raisin every time we fall.

生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。
転ぶたびに起き上がり続けることにある。

It always seems impossible until it’s done

達成するまでそれは不可能に見える

 

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