邪気ということについて。

セラピストの方、ヒーリングをやる方、などから、よく邪気をもらって具合が悪くなるのをどうしたらいいでしょうか?という質問をいただきます。

まず、邪気という言葉に、僕はちょっと問題があるように思います。邪気ということは、良くない気ということですが、それは、自分にとって良くないということなのか、あるいは、本当に良くないということなのかが、まずあります。もし、絶対的な意味での邪気(良くない気)ということがあるとは思えない。絶対的な良し悪しということって、あるのでしょうか?気とは、エネルギーですから、良し悪しということは実はないと考えます。
自分、あるいは、自分たちに不都合な、あるいは、嫌な‘気’ということはあると思います。実際、そういうものを感じることがあると思います。他人から、あるは、場所から、動物から。
でも、それは殆ど、好き嫌いとか、不都合とか、そういうことだと思う。

そういう観点で、陰気とか、いうことはあると思います。これは、陰陽ということで、良し悪しでは決してない。

でも、他人から、場所からなど、影響があることは確かです。
それをどうするかということで、邪気と呼んでいるのだと思います。
ただ、邪気を貰うとか、払うとか、そういう言い方が、僕は、どうもスッキリ来ないというか、とても傲慢な感じがしてしまうのです、自分は邪ではないという前提な感じがするのです。自分は悪人ではないという感じかな。

とにかく、実際は、いろんな気に影響されることは確かです。エネルギーは影響しあいます。生命は、感情は、影響しあいます。
不都合な、あるいは、嫌いなエネルギーからの影響をどうするかということは、確かに大切なことだとは思います。

まずは、邪気とか、陰気とか、判断する前に、観察する、気がつくことだと思っています。あとは、その時の自分に何ができるかと見極めること。

実際にセラピストや、ヒーリングをする方や、病院に勤めている方などは、得に影響を受けやすい場所にいらっしゃると思います。
流れる水で手を洗う(石鹸が必要だとは思いません)、壁や、木などに手を触れて、一種のアースをする。手を太陽にかざす、塩などを使うなどの方法が、気分や、気をリセットするのに役立つようです。
あとは、自分がどうして、その気(エネルギー)によって、そんなに影響を受けるのかを考察するのが大切だと思っています。折角、そういうことを習う、良いきっかけですから。

嫌な人とか、嫌なバイブということが、あったときに、ある意味で自分発見のいいチャンスです。嫌がるということを、無理やりに避けることは、ないと思います。たとえ、それが自分の好き嫌いだったり、我侭だったりしても、気づくチャンスであることは間違いありません。

今、ニュージーランド時間で夜中の2時半です。ふと目覚めて、こんなことを思ったのです。

夢の中では、もっともっと沢山、感じたことがあったのになああ。
2時から3時、それから、朝の6時から7時というのは、どうして、いろいろインスピレーションが湧いてくるのかなあ。そして、その時間が過ぎるとすっかり忘れてしまう。

外は、冷たい夏の雨です。朝になったら、海に連れてってもらう予定なのに。ニュージーランドでの始めての休日なのに。朝になったら、晴れていてほしいなあ。

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