ダニーとのエピソード2
この20年ほどは、年に二回はプエルトリコに行っていた。
NYでの暮らしは、時々とてもストレスが溜まり、寂しい気持ちになるものだ。そういう時には、「来週行くぞ!」と電話をしてプエルトリコまで飛ぶことが多かった。それで数日は寝て、食ってということをするので、僕はジャパニーズ・レフュージー(難民)と呼ばれていた。スペイン語ができないのも、僕にとっては、気楽だった。
プエルトリコでは、ダニーの家に泊めてもらうことがほとんどだ。プエルトリコのレインフォーレストの一部にある小さな村に住んでいる。
この時は、車で2時間くらいの所にある修道院が運営している恵まれない女性たちの住む施設に、歌を歌いに行くというので、僕も着いて行った。トレスギター(キューバのギターで明るい音色だ)の名人のネルソンと3人で。
40人くらいの比較的年齢の高い女性たちの前で、5−6曲歌った。彼は、よくこういうボランティアをする。皆、涙で喜んでくれた。
ランチを出してくれると言ったが、僕らは戻らないと行けないからとダニーは断った。シスター(修道女)が、謝礼が入っている封筒をだしたが、これも断った。
帰りは、車の中で3人で楽しい話で盛り上がっていた。高速の料金所に近づいた。ダニーがお金がないから、僕らにお金はないかと尋ねた。ところが、僕もネルセンも財布をもたずに出ていていた。数ドルのトールもない状況!
「だから、お礼を貰っておけばいいのに!」とネルソン。「そんなことは出来ないぜ!」とダニー。
「トールはどうするの?」というのは僕。
トールの所で、「僕はダニーだけど」「おお、ダニー、元気か?」
「ああ、元気だけどねえ、トール代が無いんだよ」「分かった分かった、大丈夫。あんたは金持ちかと思っていたよ。」と快く通してくれた。
ガソリンも無くなってきた。ニルソンが、貰ったロザリオを包んであった紙を何の気なしに開いてみた。百ドル紙幣が一枚一緒に入っていた。
「だから、なにも貰うな!と言ったんだ。なんで貰ったんだ!」とダニー。
「ロザリオだと言っていたからね。しかもくれると言うものを断るのは変だぜ。」とネルソン。ちょっと喧嘩気味。
「まあ、それでガソリンを入れて、ランチでもしうようよ。」と笑うのは僕だった。実は三人とも相当腹が減っていた。
お金はともかく、ランチまで断ることはないのになあというのが、僕だった。
とにかく、無事、ドライブインでランチもしてガソリンも入れて、幸せな三馬鹿だった。