キーワード「呼吸」を含む投稿一覧


2012.01.08

感情のインナー練金術。

感情は、とても大きなエネルギーです。人間はとても感情的な動物です。生きていく上に必要であり、また、カラーフルにしてくれます。

同時に、大変な障害にもなります。感情に捕われてしまうと、なかなか抜けられないものです。自分の感情や、回りの人の感情と、どう付き合っていくか、どう考えるかということが、生きる上で大きな問題です。

TaoZenの瞑想、気功、呼吸法では、感情ということを大きく取り扱っています。感情や性などの、根本的なことと対面せずに本当の自己発見や変化は無いと考えています。そして感情とカラダの関係、感情と生き方との関係などに積極的に取り組んでいるつもりです。

ヒーリング・サウンズは、内臓とココロの関係から、太極拳や、気功は、カラダを動かす事によっての感情との繋がり、呼吸法は呼吸と感情との関係などと取り組みます。感情をコントロールするというよりも、感情を出来るだけ豊にしながら、仲良くなっていくという考えです。楽しいことも、悲しいことも、優しいことも、怒ることも、同じように仲良くなっていくということです。

今日は、きちんとしたカリキュラムもなしに進めてきている地図のない「瞑想エクササイズ集中コース」に半年以上もついてきてくれた皆と、感情の瞑想を行ないました。これは内的練金術といわれる瞑想方法の一部。こう書くとなんか怪しくって楽しい(?)けど、積み重ねて行なってきた人には実に簡単なメソッドです。今まで、引きずってきた感情の癖を変化させる方法です。

丹田で、エッセンシャルオイルを作るような、あるいは、護摩を焚くような、科学実験をするような、そんな感じでもあります。かなり高度な瞑想方法を、皆、普通に行なえるようになってくれたのが本当に嬉しいです。こういうことを1人で行なうよりは、グループで行なうことのほうが、はるかに安全で、効果的だからです。

皆、有り難う。内部を自分のほうから積極的に変えていくというのは、大変な作業です。その変化が少しでも、それは大きなことに繋がると思います。

これからが、ますます楽しみです。いろいろ行なってきて、基本に帰ると実に味わいが出てくるのが、本当の基本だと信じています。

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2012.01.05

「静かな所でしか瞑想ができないか?」「どんな所ででも瞑想は出来ます。」

「静かな所でしか瞑想ができないか?」「どんな所ででも瞑想は出来る。」

静かな落ち着いた気の良い場所で、瞑想。それは理想的かもしれません。でも必ずしも、そうである必要はありません。どんな所ででも出来ます。ぜひ、いろんな所で試してみてください。
大抵の瞑想の本には、静かで途中で邪魔が入らないような場所を選んで瞑想をしましょう。と書いています。僕も最初は確かに、そうしていたし、インドのアシュラムや、日本の禅堂や神社、ニューヨークの郊外の山の中で、自宅で行う時には電話などで邪魔がはいらないように注意して瞑想をしていました。でも、何十年もいろいろやってきて分かったことの一つは、どんな場所でも可能だということです。

ニューヨークの地下鉄は、本当に煩いのですが、この中での瞑想も格別なものです。坐っていても良いし、吊り革に捕まって行なう瞑想も乙なものです。

先日、ビューティ&ダイエットというコンベンションに招かれて、チネイザン(氣内蔵)と瞑想のワークショップをして欲しいということでした。気軽に承諾して行ってみたのですが、なんとコンベンションホールの真ん中に設置されたステージで行なうものでした。各ブースからは、様々なセールスの声や音楽がなり、特別に区切りもなく、人がなんだ、なにやっているんだと興味深くギョロギョロみながら歩いているわけです。参加者の方々は、まさかこの騒音の中で、人が動く中でも瞑想をするとは思っていなかったのではないかと思います。きっと瞑想と呼吸法の説明を受けると思っていたのかもしれません。でも、僕はさて、ここでやってみましょうと瞑想を皆で試みました。結構、上手に行きました。参加者の中には、瞑想の経験者も初めての方もいらっしゃいました。「こんなところで、こんなに瞑想ができたんだから、静かな所だったら、もっと上手に簡単にできますね」と喜んでくれました。

僕は、「そうとは限りません。回りが煩いから、自分の中が静かに感じたわけです。これでとても静かな所にいくと、自分の中の騒音が気になるかもしれませんよ。」と答えました。ほどほどに煩いところというのは、結構集中できたり静かになったりするものです。僕は本を読んだり、原稿を書くのはカフェのほうが進んだりします。

「途中で子供が邪魔をしたり、電話がきたり、家族が話かけたり、落ち着く場所も時間もありません。」と言う方も沢山いらっしゃいます。それでもぜひやってください。邪魔されても、すぐに瞑想に戻る訓練にもなります。邪魔が入らない人生なんてなかなかないものでしょ。それにいつ邪魔がはいるかと思うと、瞬間に集中して瞑想にはいろうとするはずです。

とても煩くって、集中できない時のちょっとした方法もあります。ニューヨークで借りていたスタジオは、静かな所もありましたが、車の音が煩い場所もありました。(まあ、とにかく煩い都市です、ニューヨークは。)カリブで行なった時には、海岸で波の音が凄いところでした。波の音に関しては、誰も文句をいいませんでした。山奥で合宿した時には、大変なハリケーンがきて強風が熱帯雨林を騒がせた夜もありました。この音にも誰も文句を言いませんでした。車の音に関しては、皆文句を言っていました。「車だと思わないとどうですか?今日の海は荒れているなあ、くらいに思ってみましょうか」

どんな所でも瞑想はできます。いろんな所でいろんな時間に、瞑想を試してみて下さい。瞑想がカラーフルになってきます。今はやりのパワースポットでも、あるいは陰気なところでも。瞑想で有名な洞窟などにもいくつも行ってみましたが、そうとう陰気な感じでしたよ。日常的な所でも、非日常的な所でも。楽しく創造力いっぱいで瞑想をして欲しいと願っています。

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2011.12.28

瞑想(メディテーション)とリラクスゼーションと集中(コンセントレーション)との違い

僕の想いを書いたブログにいろいろ応援の声をいただきました。調子にのって、瞑想への想いも書いてみます。

瞑想 meditation とリラックスrelaxationと集中 concentrationは似ているけれどはっきりと違うものです。

リラックスしているというのは、身体と心が緊張せずに、くつろいでいる状態です。この状態は身体も心も緩んでいる感じ。注意力や観察力なども緩んでいます。身体も心もここに完全にはいない感じです。心も身体も委ねているところは瞑想と同じで、不必要な力が入っていないところも同じです。しかし瞑想は、心も身体もすっかり、ここにいる、むしろ、普段よりも充分にここにいるという状態です。覚醒状態にあるけれど、完全に委ねている状態です。

集中しているということは、ある一つの事、ある一つのポイントに心と身体が集まっているという状態です。一つのことに関して、思考力も感覚も感性も覚醒している状態です。瞑想は、ある事、ポイントだけに覚醒している状態ではなく、出来るだけあらゆる方向に心と身体が覚醒していて、しかも、同時になににも執着していない状態です。

瞑想に入っていくためには、リラックスと集中が必要です。身体の力を抜いたり、呼吸法をしたり、集中したりする瞑想方法は、実は、瞑想に入るための準備段階です。本来の瞑想状態に入るためには、そういう段階が必要です。瞑想のエキスパートというのは、そういう準備段階が短くてすぐに瞑想に入る事ができて、そこに長く留められるという人のことです。そして本物の瞑想者は、すべての生活が、すべての行動が、瞑想状態とともにある人だと思います。もちろん、僕のような凡人には、それを目指すというよりは、とにかく心を込めてなにもしない状態の瞑想を毎日すこしずつ訓練していくことだと思っています。あとは、成るようになる。成らなければ何とも成らない。そんな感じでしょうか。

瞑想を続けることによって、リラックスすることや、集中力が養われますが、それは、オマケのようなもので目的本来ではありません。

呼吸法じたいや、瞑想方法じたいが瞑想だと思われる人がいますが、それはツールです。道具です。道具に凝る人もいますし、集める人もいます。それはそれで結構だとは思いますが、道具でなにをするのかを見失いたくないと思います。

良いカメラを持っているから必ずしも素晴らしい写真を取れるわけではありません。素晴らしいキッチンがあれば、素晴らしい料理が出来上がるわけではありません。ある程度、良い道具は必要ですし、目的にあった道具が必要ですが、それだけにこだわるのでは、本来の目的を見逃してしまいます。常に、何のためか、を確認している必要があります。

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