2016.08.26

Mr. Koとの出会い。そして絵画のような写真との出会い。

si chi ko

Mr.Si Chi Koと出会ったのは、ニューヨーク。

80年代半ばだった。

海外に一人で住むと、最初は何でも新しくって大変だけど、充実した日々が続く。

ところが、7年くらい経つと、慣れてくるのだけれど、言葉もできるような感じだけれど、心の底に流れていたストレスが溜まってくる。

それがあるときに急に火山のように爆発してきたりする。

僕は、それに離婚やら、失恋やら、そして友人の裏切りやら、仕事のことやらで、精神的にも経済的にも、滞在7年目くらいに大変に厳しい状態になった。

不眠症やら、無気力やら、いろんな状況が出てきた。

 

その頃に僕を救ったのは、素晴らしい出会い瞑想だった。

その頃にいくつもの大切な出会いがあったし、自分の中での発見があった。

(と、今、振り返るとわかるけれど)

Koさんとの出会いも、その素晴らしい出会いの一つだった。

 

コーさんは、台湾で日本語教育を受け、東京写真学校の第1期生。

篠山紀信などと同級らしい。

その後台湾に戻り、広告やアートフォトで活躍。

その成功を全て捨ててニューヨークに単独移動。

ローリングストーンなどの音楽やファッションなどの写真を撮りながら、広告写真やアートファトで自分でスタジオを持つようになり活躍されていた。

ところがもっと自分が撮りたいものを探していきたいというので、スタジオを閉じて世界旅行に出た。その時の作品が、本当に素晴らしい。

決して派手ではないのだけれど、心を打つ作品がたくさんある。(きっとスライドで、その中の幾つかの作品は見せてくれるに相違ない。)

 

その長い旅からニューヨークに帰ってきた頃に出会った。

初めて会った瞬間から、何か僕の深いところで響いたようだった。

とにかく暖かい。明るい。人を分け隔てなく誰とでも同じように対応するのも素晴らしい。

それはニューヨークの競争の激しい冷たい社会では、本当にホッとする、ありがたい存在だった。

僕の小さなプロジェクトにも、文句を言わずにお付き合いしてくれた。

大変に大きなプロジェクトでも、僕との小さな仕事にもならないようなことでも、同じように熱を入れてやっている姿も素晴らしいと感じた。

僕とはふた回り(24歳)違うのに、友人のようにして扱ってくれた。

 

彼の作品との出会いもある。

いくつかあるけれど、僕が大好きな作品がいくつもあるけれど、その中から一つ。

その作品は、ギリシャの島からの眺め。僕は勝手にミカノス島と思っているけれど、

画面の右3分の一くらいは白い壁。あとは青い空と青い海。

よーく見ると遠くに他の島がうっすらと見える。

 

それは一見みると絵画のようだ

これを見た人が、ほとんど絵画だと思う。

それは画面のバランスがそうさせるのか、

色合いがそうさせるのか、

印刷のクオリティがそうさせるのか、

なぜ、そうなんだろうといろいろ考えてみた。

 

僕なりの結論。

大抵の写真はアーティストが何を移そうかという意図が比較的わかりやすいことが多いと思う。

ペインティングよりは一般的にそうだ。

ある一瞬を撮るからか、被写体がはっきりとしている。

ところが、この作品はギリシャの島の景色なんだろうけれど、それを撮っているのではない。

色合いとか構図とかで表現しているだけでもない。

具象的だけれど、抽象的なものもある。

時間をかけて塗ったような静けさと複雑さがそこにはある。

この作品はニューヨークの近代美術館にも収められているそうだ。

幸運にも僕も一枚持っていて、ずうっと飾っている。

決して飽きない作品だ。

 

優しくて深い空間が、そして空気がそこにはある。

Koさんの人柄がここには出ている。人を楽しませようとかいう安易な意図は感じられない。

アーティストで作品と性格が似つかない人もいるけれど、コーさんの場合は

彼の人柄がすっきり自然に出ている。

9月2日のKoさんのプレゼンテーションの時には、TaoZenスタジオにも僕の宝の一つのこの作品を持って行こうと思う。

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| Posted at 09:52 | 未分類 | この記事のURL | コメント(0)
 
2016.08.23

この人にハグしてもらわないと勿体ない。       台湾の写真家Si Chi Koさん(88歳)

最近芥川賞を受賞した「コンビニ人間」を読んで、何か納得できるところが幾つかあった。

昨年の「花火」は、僕には全くそういうところがなかった。

とは言っても、だいたいが小説をたくさん読む方ではないし、僕の日本語感覚ではどうにもこうにもならないのだけれど。それでも好き嫌いとか、響くとかはあるわけだ。

僕は、ビデオの映画を家で観るときには、だいたい3日かけて見終わる。

要するに、40分くらいづつを3日に分けて観るわけだ。

しかも3日続けてというようなスケジュールにならないので、約一週間で一本観るわけだ。

あるいは、作品によっては4倍速くらいの早送りで観る。

そんなわけで、本も気に入った本はまあ2−3週間はゆうにかかる。

それ以外の本は、もう読んでいるというのではなく、眺めたという感じで20分くらいで終わってしまう。

「コンビニ人間」は先週から読み始めたけれど、まだ半分くらい。もしかしたら終えないかもしれない。そういう本はたくさんある。(こういうのって僕だけですか?)

決して褒められた読み方ではないなあと思う。

『今の「私」を形成しているのはほとんど私のそばにいる人たちだ。』

コンビニ人間のある章の始まりだ。僕は、これが響いた。

きっと作者の村田沙耶香さんの言いたいこととはずれているとは思うけれど。

僕は、僕を形成しているのは僕が出会って、そして繋がった多くの人たちの集合体だなあって感じることがある。

父親とか母親とか、一緒に仕事をしてきた人とか、友人とか、師とか、恋人とか、そういう人たちだけでなく、実際に合わない人でも自分で繋がっていると感じる人とか、そういうものも含めて。

そして、あの人の要素がいっぱいあったら良いよなあと思う人もいるし、ああなっていたくないなあと思う人の要素も、いろいろ混じって入っている。

その人のようになりたいとか、その人のある部分は貴重だし、できたら真似たいとか、そう思える人と出会ったりすると、嬉しくなる。

会っている時には、そんなにピンときていないようだけれど、距離を置いたり、時間が経つと、本当に貴重だと思える人もいる。

最初はピーンと激しく来たけれど、しばらくしてみたら、その影響はほとんどない人もいる。

僕はラッキーにも、多くの人と触れ合うことができてきた。

しかも、本当に様々な人との出会いに恵まれてきたと思う。

特に自分で決めてインドに行ってり、ニューヨークに移住してからは、ずうっとそうだと思う。

コーさんとの自撮り。 台湾で。

コーさんとの自撮り。
台湾で。

今回、紹介したい Si Chi Ko さんは、出会ってから40年くらいしても、ずうっと輝く人間なんだなあと実感させられる人だ。

そしてコーさんの素晴らしいところが、少しでも僕の中で生きていることを願う。

コーさんは、台湾でもトップの写真家。現在88歳。

ニューヨークの現代美術館からの彼の作品は購入されている。

でも、コーさんの最も大切なところは、何も説明がいらない。

会ってもらうと数秒でわかる純粋な心の持ち主。

本当に可愛いくってチャーミングな88歳の男性で、人間だ。

作品や、今までの生き方も、もちろん素敵だけれど、コーさんの場合は、とにかくどうしても会ってもらいたい人だ。会わなければ、分からない人間力だ。

『タオゼンフレンズ』という、「生きる」をアートしている人たちと実際に会って話を伺って、そしてリラックスした環境で懇談してもらう企画がある。これで4回目だけれど、すべて本当に味わい深い人たちに来ていただいている。

今回、コーさんが僕に会いに久しぶりに東京に来てくれるというので、タオゼンフレンズに出てもらえないだろうかと伺ったところ、「はい、喜んで」と引き受けてくれた。

とにかく、コーさんという方にあって、触れ合って欲しいというのが、僕の正直な気持ちです。

コーさんとの出会いや作品について、そして同行する素敵な奥様の中国古典舞踊などのことはは、次に書きましょう。

とにかく、コーさんと実際にあって握手とハグをしてみて欲しいのです。

AMMA というインドの女性スピリチュアルリーダーで、彼女にハグされるのに多くの人が並ぶ人がいる。僕もAMMA にハグされたことがある。

コーさんのハグは、彼女に負けない輝くものがある。こんな機会、もったいないと僕は思う。

そして少しでもコーさんの良いところを自分の中に染み込ませて欲しいと願うのです。

http://www.taozen.jp/others/#pilates

 

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2016.06.08

TaoZenフレンズ「巡礼の意味」後編

ホアンとは、会う頻度が少なくても、会うといつでも何か深いところで同じ方向に向かっているという信頼感がある。

今回も会ったのが、数年ぶりだったけれど、その時間を全く感じない。

タオゼンスタジオでの彼のトークも、気取りがなくって自分にとって大切なことをさりげなく話していた。だからこそ、心に響くものがあったと思う。

終わってから、みんなでおにぎりを頂きながらの懇談も楽しかった。

以下、レポートの2回目です。

DSC06894

おにぎりの前に、簡単な瞑想。

おにぎりの前に、簡単な瞑想。

ちなみに次回は9月に、僕の旧友であり先輩の台湾で写真の第一人者、Si Chi Koと彼の奥様で中国の古舞踏の第一人者のJessi の予定です。

〜〜〜

TaoZenフレンズ第3回 (2/2回)

世界の聖地を巡礼するホアンさん。人生6度目の巡礼を終えて、改めて巡礼とは何かを語った。

巡礼とは何か?

今、世界中で巡礼が注目を集めている。が、それは宗教的な意味合いで人気なのではない。

古来、巡礼は死を受け入れるための修行と言われている。

どう生き、どう死ぬか。そのモデルを体験したい人々の関心を集めている。

観光のための旅行と何が違うかというと、巡礼は明確な構造を持っている。それを6つのステップで説いた。

巡礼の6つのステップ

STEP1

意図すること。巡礼をしたい、と心から思うこと

STEP2

なぜ巡礼をするのか。理由を決める

古来、巡礼者は2種類の願いを持つと言われている。

一つは自分が叶えたい願い。例えば自分の病気を治したいなど。

もう一つは他の人のための願い。家族、友達、知人の病を治したいなど。

そういう願いを持って巡礼すると、本当に治ってしまうことがある。

誰かのために動くというポジティブな意図をもって行動するとポジティブな結果が生まれる。

巡礼者にお願いした人は良い結果を受け取り巡礼者もポジティブなエネルギーの何割かを受け取ることができる。

STEP3

自分の変化を受け入れる、と決める。

巡礼に出たら予期していないことが様々に起きる。けれど、受け入れる気持ちがないと本当の意味で変化は起きない。

巡礼に出る前に自分に3つの質問をすることが必要だ。

① 自分はどんな結果を得たいか

② どの程度のものを得たいか

0~10の段階だとするとどのレベルのものを得たいか。

0はほとんど変わらない、10はすごく変わる、としたら?

③ そのために何をしなければならないか

どんな結果をどの程度得るか決めた。次にそのために何をしなければならないか? と考える。

このSTEP1~3までが巡礼の準備段階。

巡礼をやると決めた日から毎日日記をつけるとよいと言われている。どうやったら10のレベルの結果が得られるかと考えて日記に記録する。瞑想や気功を始める場合も。

つまり、巡礼に出る前から巡礼のことを考え始めている。

家を出る前から巡礼は始まっているのだ。

STEP4

先送りにしていたことを終わらせる

ひとたび巡礼に出たら、戻ってくることはできないかもしれない。棚上げ、先送りにしていたことを終わらせておく。例えば借金。資産の相続先。気まずくなったままの人間関係。

言うは簡単だが実行することはとても難しい。

STEP5

自分と約束する

巡礼を終えるまで決め事を作り必ず守ることを自分と約束する。

その約束は自分にとって苦手なことにするとよいそう。

自分との約束を守ったら、特別なことが起きる。

自己肯定感が増し自分のことをもっと高次なものとして見ることができる。

STEP6

死を含んで生きる

巡礼に出たら途中で死ぬ可能性がある。

死は人間だけでなく動物も恐怖を感じるものだ。

死ぬかもしれない、と思ったらこわい。

こわい、と思ったら動けなくなる。

生きることも同じだ。恐怖を感じたら人生が動かなくなってしまう。

ホアンさんはいつ死ぬとも知れない巡礼を続けながら思った。

生きてることと同じだと。

死を含んだまま歩いている。

何があっても、死を抱いていても、とにかく前を見て進んでいるのだ。

巡礼は死をどう迎えるか、その準備のための修行だと言われる。

けれど、「今をどう生きるか?」と同義だと思った。

ホアンさんは終始淡々と語る。「こんなふうに生きろ」などと要求しない。「やってみたらこう思ったんだよね」といったさらっとしたシェアの時間だった。

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| Posted at 20:13 | 未分類 | この記事のURL | コメント(0)
 
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