キーワード「日本」を含む投稿一覧


2012.01.07

苦労が身につかない素敵な人たち。

昨年末、思いがけない届け物がありました。20年ちかくお世話になっている福岡に住む大屋さんという方から、佐賀の美味しそうなお肉が届きました。

お歳暮という大人っぽい(?)熨斗がついていたのもなんか嬉しかった。僕がやっているニューヨークのマーケティング会社で、ずうっとお付き合いさせて頂いているクライアントです。いろいろ苦労されてきている方ですが、その苦労がまったく身につかない方。いつでも前向きに楽しみながら生きているところと、義理ということを重んじている生き方をされている男です。

苦労をしないと出てこない味というものが確かにあります。「人は苦労をしないといけない」みたいな話を小さい時によく聞いたことがあるような気がするけれど、その頃は、全くナンセンスだなあって思っていた。でも、今、振り返ってみると、確かなところがあるようと思います。

僕が親友と思っている人たち、信頼している人たち、尊敬している人たちには、いくつかのパターンがあるなあ、って今朝の瞑想が終わってからのボーッとした時間で思っていました。僕には、この十分くらいの時間が一番、発想の富んだ時間です。

“苦労が身につかなくって、前向きな人” “頭が良いのに、それが全く身につかない人” “義理人情を大切にして生きている人” “いろんな経験をしているのに、まったく身につかない人” こんなタイプが多いのです。この大屋さんも、典型的なこのタイプです。

ニューヨークで暮らしていると、予想もつかない苦労を、しかも、命がけで生きてきた人たち、あるいは、今でもギリギリで生きている人と出会います。そういう中で、一見ヘラヘラと楽しく生きている人がいる。そういう人たちは、どこか圧倒的な暖かさがある。義理人情も熱い、そして、生きるということの情熱を感じる。それでいて、大抵、相当抜けているところがあって、微笑ましい。

そういうタイプの友人を持つことが出来たのは、僕にとっては大変な宝だと思っています。

その昔は一緒に住んでいたガールフレンドだったけれど、長年のビジネスパートナーであり、家族のようなニールもそういう人だ。イラン革命から逃げてやってきて、それからは、家族誰も母国には帰れない。親友のスティーブも、メリッサも不治の病を持っているのに、まったくもっと明るい。オランダのローレンスは、大変な頭脳の持ち主なのに仁義の世界に生きているようだ。こういう人達は、僕の宝だ。

日本にも、同じタイプの方がいる。大屋さんもその1人。頂いたステーキは、僕にとっては唯の高級な和牛ではなく、もっと味の深いものになりそうだ。こんなことを感じているのに、お礼の電話での僕の表現は、とても軽くなってしまう。僕の良さなのか、阿呆さなのかは、分からない。まあ、身につかない!だけには自信があるけれど、それが良い意味に育っていって欲しいと、自分のことを他人事のように思っています。

よしもとばななさんも、そういう宝の1人です。大変に努力しているのに、まったくその気配を見せない。素晴らしい才能があるのに、まったくそういう匂いを感じさせない。良いよねえ、そういう人って。そういう素晴らしい友人がいるのに、僕は、きちんと年始の挨拶もせずに、思いだけじゃあねえ。でも、思っていますよ。ばななさん!そうだ、明日、電話しよっと。きっとさりげなさ過ぎて、「何だったの?あの電話はって。大内さんらしいけどねえ。」思うだろうなあ。

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2012.01.05

「静かな所でしか瞑想ができないか?」「どんな所ででも瞑想は出来ます。」

「静かな所でしか瞑想ができないか?」「どんな所ででも瞑想は出来る。」

静かな落ち着いた気の良い場所で、瞑想。それは理想的かもしれません。でも必ずしも、そうである必要はありません。どんな所ででも出来ます。ぜひ、いろんな所で試してみてください。
大抵の瞑想の本には、静かで途中で邪魔が入らないような場所を選んで瞑想をしましょう。と書いています。僕も最初は確かに、そうしていたし、インドのアシュラムや、日本の禅堂や神社、ニューヨークの郊外の山の中で、自宅で行う時には電話などで邪魔がはいらないように注意して瞑想をしていました。でも、何十年もいろいろやってきて分かったことの一つは、どんな場所でも可能だということです。

ニューヨークの地下鉄は、本当に煩いのですが、この中での瞑想も格別なものです。坐っていても良いし、吊り革に捕まって行なう瞑想も乙なものです。

先日、ビューティ&ダイエットというコンベンションに招かれて、チネイザン(氣内蔵)と瞑想のワークショップをして欲しいということでした。気軽に承諾して行ってみたのですが、なんとコンベンションホールの真ん中に設置されたステージで行なうものでした。各ブースからは、様々なセールスの声や音楽がなり、特別に区切りもなく、人がなんだ、なにやっているんだと興味深くギョロギョロみながら歩いているわけです。参加者の方々は、まさかこの騒音の中で、人が動く中でも瞑想をするとは思っていなかったのではないかと思います。きっと瞑想と呼吸法の説明を受けると思っていたのかもしれません。でも、僕はさて、ここでやってみましょうと瞑想を皆で試みました。結構、上手に行きました。参加者の中には、瞑想の経験者も初めての方もいらっしゃいました。「こんなところで、こんなに瞑想ができたんだから、静かな所だったら、もっと上手に簡単にできますね」と喜んでくれました。

僕は、「そうとは限りません。回りが煩いから、自分の中が静かに感じたわけです。これでとても静かな所にいくと、自分の中の騒音が気になるかもしれませんよ。」と答えました。ほどほどに煩いところというのは、結構集中できたり静かになったりするものです。僕は本を読んだり、原稿を書くのはカフェのほうが進んだりします。

「途中で子供が邪魔をしたり、電話がきたり、家族が話かけたり、落ち着く場所も時間もありません。」と言う方も沢山いらっしゃいます。それでもぜひやってください。邪魔されても、すぐに瞑想に戻る訓練にもなります。邪魔が入らない人生なんてなかなかないものでしょ。それにいつ邪魔がはいるかと思うと、瞬間に集中して瞑想にはいろうとするはずです。

とても煩くって、集中できない時のちょっとした方法もあります。ニューヨークで借りていたスタジオは、静かな所もありましたが、車の音が煩い場所もありました。(まあ、とにかく煩い都市です、ニューヨークは。)カリブで行なった時には、海岸で波の音が凄いところでした。波の音に関しては、誰も文句をいいませんでした。山奥で合宿した時には、大変なハリケーンがきて強風が熱帯雨林を騒がせた夜もありました。この音にも誰も文句を言いませんでした。車の音に関しては、皆文句を言っていました。「車だと思わないとどうですか?今日の海は荒れているなあ、くらいに思ってみましょうか」

どんな所でも瞑想はできます。いろんな所でいろんな時間に、瞑想を試してみて下さい。瞑想がカラーフルになってきます。今はやりのパワースポットでも、あるいは陰気なところでも。瞑想で有名な洞窟などにもいくつも行ってみましたが、そうとう陰気な感じでしたよ。日常的な所でも、非日常的な所でも。楽しく創造力いっぱいで瞑想をして欲しいと願っています。

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2011.12.25

ホリディ・シーズンに想うこと。

日本でクリスマスと正月を過ごすのは、本当に久しぶり。

このシーズンに毎年、強く考えることがあります。上手く表現が出来るか分かりませんがトライしてみます。

11月から1月にかけてのホリディ・シーズンは、Happy Holidays (Holidayという単数ではない)というくらいに多くの人達にとってのホリディーシーズンです。アメリカの感謝祭から始まって、クリスチャンにとっては、クリスマス。多くのラテンやヨーロッパ人にとっては、エピファニー(公現祭)やユール、ユダヤ人にとってはハヌカ、インドではディーワーリー、アフリカンアメリカンにとってはクワンザ、そして年末、新年、、。とにかく沢山の人間にとってお祭り、そして祈りの季節です。

沢山の人がお祈りをすると、確かになにかが変わります。良い意味でも、悪い意味でも、影響が大きいと思います。ニューヨークで過ごす、このシーズンは特にそれを感じました。宗教というものが土台にある社会でもあるわけで、沢山の人がお祈りをしているのをひしひしと毎年感じていました。僕も多くの祈りと感謝の強い体験を実際に受けました。クリスチャンでもないのに、いつもミッドナイトのミサに出席して、プエルトリコのエピファニーなどで、かなり神聖な体験もしました。

と同時に、とても寂しい思いも体験しました。家族や宗教が土台になっているフェスティバルで、自分が属するところがないという実感は、やはり説明できないものがあります。それをテレビや、ちょっとしたエンターテイメントで紛らわすのは、つまらないけれど、そうせざるを得なくなるところも理解できます。

実際、このシーズンが自殺の最も多い時期。僕の知っている方も二人も、この時期に自殺をしてしまいました。

ニューヨークに住み移ってから、7年くらだったかなあ、とにかく酷い不眠症と落ち込みが続きました。孤独感と言ってしまうと簡単ですが、それが数年も続きました。このことは、いつかお話してもいいのかもしれませんね。とにかく睡眠が2時間というような日々が1年以上続きました。瞑想も太極拳も、エクササイズもしていてもです。それでも仕事はきちんと進めていましたし、親しい友人だけが、その事を知っていました。そういう時に限って、ホリディに行く所がない、一緒に居てくれる人がいない。気がついたら一人きりで、開いているレストランもほとんど無い。

実は、その時の僕の親友も失恋で落ち込んでいました。どうにか誰かのパーティにでも参加しようということで彼の親戚のパーティに行ってみたところ、そこで有名な精神科医と出会い、二人でいろいろ相談したりもしました。相談をするとするほど、もっと落ち込んだ。その有名な精神科医が翌年に自殺をしてしまいました。彼の呟いていた言葉を今でも覚えています。「人とお金は、来たり去ったり。そういうものだからねえ。」僕には、その時にも今でも、そう思えません。お金と人は違う。お金は去っても、大切な人は去らない。もし逢わなくなっても、決して去らない。心の中から、決して去らない。

別の友人のお父さんも、ある年のホリディ・シーズンに自殺をしました。その家族は、かなりのお金持ちでマンハッタンの素晴らしいアパートに住んでいて、本物のゴッホの絵などもありました。行く所がない僕は、彼らのユダヤ教の夕食にも何度も参加しました。夏になると由緒ある別荘地にも行きました。その家長が自殺をしてしまったのです。その後、相続問題がゴタゴタしたらしい。

どんな人でも、自分を破壊したくなったり、自己憐憫に落ち入ったりするものです。人によって、どういう時に自己破壊や憐憫になるかを観察しておく必要があります。避けるのではなく、対処する必要があります。僕も何回も、そういう経験があります。そういう経験が出来るということが、孤独になるいい点かもしれません。孤立や孤独や挫折がいろいろ教えてくれることが、後になって分かります。

僕と多くの僕の友人たちは、そしてこれを読んでくれる皆は、とてもラッキーです。食べるものも、住むところも、友人もいる。概ね健康で、考えることも感じることも、多くの選択もできます。世界には、今現在そういう状況にない人が沢山います。沢山見てきました。そして嘗て、今まで生きてきた大多数の人間は、僕たちのようにラッキーではなかったわけです。

だから、僕たちは、この幸せを充分に生きていく必要があるだと思います。できるだけ、楽しく、そして出来るだけ無駄にならないように。

いろんな想いと祈りの舞う、このホリディシーズンに、商業主義の祭り騒ぎで、人間をあんまり寂しくしたり、孤立させるのは、本当の祈り、ホリディの本当の意図を無駄にはしてしまわないかと危惧します。

祈りと瞑想を、あんまり混ぜることをしないようにしている僕ですが、このシーズンは積極的に祈りと瞑想を混合しています。宗教の無い僕は、どんな宗教の祭りにも、基本的には参加しているつもりになっています。

まとまりのない想いを、そのまま書いてみました。(いつでも、そうか!)

Happy Holidays !

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