キーワード「瞑想」を含む投稿一覧
願いの叶う瞑想。
昨日は、1日中、「願いの叶う瞑想」のワークショップでした。普通は、丸二日かかって行なう内容を1日で集中して行ないました。
朝10時半から夕方6時半まで、ほとんど休憩もなく集中して行ないました。TaoZenのワークショップは、お昼を皆で食べにいって、それからお昼寝(ドリームプラクティス)もあって、オヤツもあって、そういう感じで進めるのが普通ですが、今回は、ランチも皆でテイクアウト。昼寝もなしで頑張りました。
午後の3時くらいまでは、願いということはどういうものなのか?願いは叶うようになっているメカニズム。それと瞑想との関係などを考えながら、とにかく今の自分の願いというのは何なのかを様々な方向から考察しました。
例えば、今までに叶った願いは何だったのか。願いが叶わなかったものは何か?そしてそれは何故か?もし今、そして未来もずうっとお金が充分にあったら、何をするか?などいろんなことを書いてみたり、そのことで発見したことを話あったり。またカラダを動かして、カラダのほうからも願いの確認をするエクササイズやゲームもいろいろしました。とにかく自分の願いというものをいろんな方向から、考え直して、自由な気持ちでいっぱい出してみます。それをしてから、三つの願いに絞っていきました。
この間に、涙がでたり、笑ったり、ゴロゴロしたり、おしゃべりしたり。頭だけを使うのではなく、感情もカラダもタマシイも使ってのワークです。
その後には、TaoZen独特の方法で、願いを実現していく方法を学びました。ここまで来ると、かなり楽しい作業です。
最後には、皆で達成の癖、ラッキー癖を呼び起こす方法を遊びます。楽しみながら進んでいくのが願いの叶うことのキーです。
とにかく皆、お疲れさまでした。僕も終わったら、いつもよりも疲れていました。ココロもカラダも。同時にかなり興奮というか高揚状態でもありました。
すでに願いが叶ったというメールも頂きました。願いの叶うということは、結果だけではなく、プロセスです。一見、願いが叶わない方向に行っているような気がすることも、プロセスです。そこで諦めないことが重要。
皆で21日間は、願いの叶う瞑想を毎日必ず行なう誓いをしました。これからが楽しみです。
感情のインナー練金術。
感情は、とても大きなエネルギーです。人間はとても感情的な動物です。生きていく上に必要であり、また、カラーフルにしてくれます。
同時に、大変な障害にもなります。感情に捕われてしまうと、なかなか抜けられないものです。自分の感情や、回りの人の感情と、どう付き合っていくか、どう考えるかということが、生きる上で大きな問題です。
TaoZenの瞑想、気功、呼吸法では、感情ということを大きく取り扱っています。感情や性などの、根本的なことと対面せずに本当の自己発見や変化は無いと考えています。そして感情とカラダの関係、感情と生き方との関係などに積極的に取り組んでいるつもりです。
ヒーリング・サウンズは、内臓とココロの関係から、太極拳や、気功は、カラダを動かす事によっての感情との繋がり、呼吸法は呼吸と感情との関係などと取り組みます。感情をコントロールするというよりも、感情を出来るだけ豊にしながら、仲良くなっていくという考えです。楽しいことも、悲しいことも、優しいことも、怒ることも、同じように仲良くなっていくということです。
今日は、きちんとしたカリキュラムもなしに進めてきている地図のない「瞑想エクササイズ集中コース」に半年以上もついてきてくれた皆と、感情の瞑想を行ないました。これは内的練金術といわれる瞑想方法の一部。こう書くとなんか怪しくって楽しい(?)けど、積み重ねて行なってきた人には実に簡単なメソッドです。今まで、引きずってきた感情の癖を変化させる方法です。
丹田で、エッセンシャルオイルを作るような、あるいは、護摩を焚くような、科学実験をするような、そんな感じでもあります。かなり高度な瞑想方法を、皆、普通に行なえるようになってくれたのが本当に嬉しいです。こういうことを1人で行なうよりは、グループで行なうことのほうが、はるかに安全で、効果的だからです。
皆、有り難う。内部を自分のほうから積極的に変えていくというのは、大変な作業です。その変化が少しでも、それは大きなことに繋がると思います。
これからが、ますます楽しみです。いろいろ行なってきて、基本に帰ると実に味わいが出てくるのが、本当の基本だと信じています。
苦労が身につかない素敵な人たち。
昨年末、思いがけない届け物がありました。20年ちかくお世話になっている福岡に住む大屋さんという方から、佐賀の美味しそうなお肉が届きました。
お歳暮という大人っぽい(?)熨斗がついていたのもなんか嬉しかった。僕がやっているニューヨークのマーケティング会社で、ずうっとお付き合いさせて頂いているクライアントです。いろいろ苦労されてきている方ですが、その苦労がまったく身につかない方。いつでも前向きに楽しみながら生きているところと、義理ということを重んじている生き方をされている男です。
苦労をしないと出てこない味というものが確かにあります。「人は苦労をしないといけない」みたいな話を小さい時によく聞いたことがあるような気がするけれど、その頃は、全くナンセンスだなあって思っていた。でも、今、振り返ってみると、確かなところがあるようと思います。
僕が親友と思っている人たち、信頼している人たち、尊敬している人たちには、いくつかのパターンがあるなあ、って今朝の瞑想が終わってからのボーッとした時間で思っていました。僕には、この十分くらいの時間が一番、発想の富んだ時間です。
“苦労が身につかなくって、前向きな人” “頭が良いのに、それが全く身につかない人” “義理人情を大切にして生きている人” “いろんな経験をしているのに、まったく身につかない人” こんなタイプが多いのです。この大屋さんも、典型的なこのタイプです。
ニューヨークで暮らしていると、予想もつかない苦労を、しかも、命がけで生きてきた人たち、あるいは、今でもギリギリで生きている人と出会います。そういう中で、一見ヘラヘラと楽しく生きている人がいる。そういう人たちは、どこか圧倒的な暖かさがある。義理人情も熱い、そして、生きるということの情熱を感じる。それでいて、大抵、相当抜けているところがあって、微笑ましい。
そういうタイプの友人を持つことが出来たのは、僕にとっては大変な宝だと思っています。
その昔は一緒に住んでいたガールフレンドだったけれど、長年のビジネスパートナーであり、家族のようなニールもそういう人だ。イラン革命から逃げてやってきて、それからは、家族誰も母国には帰れない。親友のスティーブも、メリッサも不治の病を持っているのに、まったくもっと明るい。オランダのローレンスは、大変な頭脳の持ち主なのに仁義の世界に生きているようだ。こういう人達は、僕の宝だ。
日本にも、同じタイプの方がいる。大屋さんもその1人。頂いたステーキは、僕にとっては唯の高級な和牛ではなく、もっと味の深いものになりそうだ。こんなことを感じているのに、お礼の電話での僕の表現は、とても軽くなってしまう。僕の良さなのか、阿呆さなのかは、分からない。まあ、身につかない!だけには自信があるけれど、それが良い意味に育っていって欲しいと、自分のことを他人事のように思っています。
よしもとばななさんも、そういう宝の1人です。大変に努力しているのに、まったくその気配を見せない。素晴らしい才能があるのに、まったくそういう匂いを感じさせない。良いよねえ、そういう人って。そういう素晴らしい友人がいるのに、僕は、きちんと年始の挨拶もせずに、思いだけじゃあねえ。でも、思っていますよ。ばななさん!そうだ、明日、電話しよっと。きっとさりげなさ過ぎて、「何だったの?あの電話はって。大内さんらしいけどねえ。」思うだろうなあ。





