瞑想はアートです。(その1)

瞑想はアートです。生きるそのもののアートです。

アートであるということは、すくなくても三つの要素があります。

1つは技術、あるいはテクニック。しっかりした基本的な技術がないと表現もできません。しかし、技術だけでは、上手だなあとか、きちんとしているなあということだけで、心が動くようなことにはなかなかなりません。

2つ目は、美学というか、豊な情感というか、センシティビティというか、エステティックです。でも、これだけだと、単に変な人というか、自分に酔っている人です。

3つ目は、なぜそれをしているかということを深く考えたり、洞察する智慧、知性。哲学です。これだけだと無味乾燥な理論や、やたら難しいものになってしまいます。しかし、哲学がないと方向性が失われます。個人のものだけになってしまいます。

この三つの要素が上手く融合してこそ、アートです。

ピアニストでも、技術だけでも、豊な情感だけでも、素晴らしい理論だけでも駄目です。その人らしい融合があって、始めて心に響きます。

では、この三つの要素がすべて三分の一づつあって、バランスが良いのが良いかというとそうではないと考えます。人それぞれ、また、その時、その時でバランスがダイナミックに変化してこそ、味わいがあるのです。人によっては技術が70%で他の要素が10%20%でも良いし。美のセンスが50%で後は、25%でも良いと思います。個人個人のパーソナリティが滲み出ていないとアートではありません。

時、場所によっても変化します。今日と明日とは違います。東京にいるのとパリにいるのとは違います。誰と一緒にいるのかによっても、違います。違わないならば、アートではありません。 (続く)

PS)僕は、チバソムにいて、個人セッションやクラスをしています。ここにいらしている人達は、本当に裕福な人達だけです。いろんなことを考えさせられます。お金の意味。お金で幸せや、健康は買えるか?幸せの意味。などなど。

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