181丁目地下鉄駅のエレベーターマン (その3:消えてしまった音楽と写真 I am going back to my island.)

181丁目地下鉄駅のエレベーターマン (その3:消えてしまった音楽と写真  I am going back to my island.)

(181丁目地下鉄駅のエレベーターマン、続き)

ブルースがシフト出ない時でも休暇の時でも、写真や絵はいじられたり、悪戯される事はなかった。

恵まれない人の為にとキャンベルスープを持って来た子供がいた。

いつの間にかエレベーターの角には、教会に寄付する食料品を持ち込む箱が出来た。

それをブルースは自分の所属する協会に毎週日曜日に持って行った。

 

Good Morning , Bruce !(お早う、ブルース)”

今では、皆がブルースの名前も呼んで挨拶をする。

客もお互いにおしゃべりをする。

無機質な地下の48秒が、このコミュミュニティで最も豊かなひと時になっていた。

いろんな人種、年齢、職業の人が一緒に楽しむ時間。

通勤の人にとっては、癒しのひと時になった。

このエレベーターで出会い、結婚をした若いカップルもいた。

もちろん、その時にはウエディングの写真で壁がいっぱいになった。

 

ところがある時、MTAの局長に、

181丁目駅のエレベーターには、いろんなものがあり、危険だし、音楽も煩い、法規違反だという手紙が届いた。

当局としては、正式に調査を始めないとけなかった。

そして、写真や花は取り外され、音楽も禁止になった。

 

住民は、大反対。3000人もの署名がすぐに集まった。MTAの幹部にも多くの講義のレターが届いた。

しかし、さらなる調査の結果、エレベーターの利用者の中に何人か反対の人がいること、

そして消防、安全の立場から、正式にブルースの行動に禁止命令がなされてしまった。

ブルースが写真を張り始めてから6年目の春だった。

 

ブルースは、写真も音楽もない、どす黒いステンレスの箱に戻ってしまった。

それでも、相変わらずにニコニコ挨拶をして、エレベーターを動かしつづけた。

抗議運動は、ある時には地下鉄の駅前に200人も座り込むデモまでになったこともあったが、写真も音楽も戻っては来る事は無かった。

 

そして、その年の暮れには人件費削減で、NYの地下鉄のエレベーターからオペレーターは消えてしまうことになった。

181丁目のエレベーターにも、防犯カメラが二台取り付けられ、無人運転になった。

ブルースは、そのころ丁度定年になった。もっと歳を取っているかと思われたが、まだ60歳になったばかりだった。

 

ある朝、やけに不器用な幼稚な文字で書かれた一枚のわら版紙がエレベータの壁に、無造作にセロテープで張ってあった。

「Thank you.

All of you made me so happy.

This elevator was my home.

I am going back to my island.

Merry Christmas and Happy New Year !  

With Love, Bruce」

(ありがとう。みんながわたしをとてもしあわせにしてくれました。

このハコは、わたしのホームになりました。でも、これからこきょうのシマにかえります。

メリー・クリスマス、よいお年を。愛をこめて、ブルース)

 

実はブルースは読み書きが出来なかった、ということがはっきり分かる筆記だった。

それでも、誰かに教わりながら一生懸命書いただろうということが分かるものだった。

相変わらず、真っすぐには張られていなかった。

冬を超して春の桜が咲く頃まで、わら半紙が風化するまで、セロテープで何度も補強されながら、そこに残っていた。

***

もう少し続くので、今しばらくのおつきあいを。)

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