シバナンダのアシュラム。40年前の音がする!!(その1)



ガンジス川岸にあるシバナンダのアシュラム。昔はこんなに巨大ではなかった。
ガンジス川岸にあるシバナンダのアシュラム。昔はこんなに巨大ではなかった。

 

風は同じだ。
風は同じだ。

 

Swami Sivanandaの部屋。 一人で瞑想をした。 40年前の音だ!
Swami Sivanandaの部屋。
一人で瞑想をした。
40年前の音だ!

 

真ん中がシバナンダ。向って右がクリシュナンダ、左がチタナンダ。
真ん中がシバナンダ。向って右がクリシュナンダ、左がチタナンダ。

 

僕がリシケッシュで40年前にお世話になったアシュラム2つを訪れるのが、今回の旅の大きな目的だ。

その1つは、シバナンダのアシュラム。正式にはDivine Life Society、だっということを、今回再確認した。

というのは、その当時はなんとなくお世話になって、しかもお目にかかった方が誰であったかも、なんというアシュラムだったかも認識せずに、とにかくそこの空気に浸っていたということが事実なのです。

デリーからバスを2回、それから馬車と、二日もかけてようやく着いたリシケッシュだった。

ヨガの聖地ということで、まあ行けばどうにかなるでしょという感じだった。

この土地の人に聞いたら、ガンジス川のほとりにあるこのアシュラムが評判が良いというので寄ってみた。

以前は外人も引き受けていたことも、その時には外人は受け入れていないと言うことだった。

残念。なんかとてもオーセンティックな(本物、伝統的)感じなのになあ。

受付の人が、折角だからグルーに会っていくかということで、もちろん会わせて頂いた。

仙人のような痩せた白いヒゲの老人をイメージしていた。

薄暗い大きな部屋でお目にかかったのは、かなり太った、血色の良い肌艶の良い重量感のある男性だった。年齢もそんなに行っていないような感じ。

「ふーん、大夫イメージ違うなあ」と思いながらも、なにか一緒の空間にいるのが、圧倒的な心地良さがあったのを覚えている。

外人は今はいれていないんだけれど、ここにいて良いと仰った。

「あのぅ、僕は日本人でインド人ではないですが。」

僕はいつも余計なひとことを言ってしまう癖が昔からある。

ちょっと怖そうな面が微笑んで「大丈夫」のひと言。結局お世話になることになった。

ガンジス川のほとりにある窓のない石でできた小さな部屋を与えられた。縄でできたベッドしかなかった薄暗くて寒々した感じの部屋。

禅寺のような厳しい修行を期待していたけれど、朝早くのお祈りに参加することと、あとはちょっとしたクラスしかなかった。どれもヒンズー語だったので、チンプンカンプン。それなりにヒンズー語を日本でならって、多少は話せるようになっていたのだけれど。

掃除や洗濯はそれをする女性たちがいて、とくに仕事もなかった。食事は時間になると鐘がなって、大きな部屋で石の床に坐って皆で食べた。バケツのような真鍮でできた大きな器から、おたまみたいなもので雑にダールやアルゴビなどのカレーを頂くのだった。

禅寺の修行のような厳しい修行を期待していたのに、まったくのノンビリした日々だった。

**

今回、40年ぶりに訪れたので、自分が泊めてもらった部屋をみたいと話したら、笑われた。

「もうそのころの建物はないと思うなあ。私もここに来たのは25年くらい前だからねえ。スワミ・シバナンダの部屋でも見るかい。」と案内された。

入ってみたけれど記憶はない。

その部屋で、一人で瞑想をしばらくしてみた。

音が一緒だ。外からの雑音、人の声、足音、ガンガーの音、響きは全く同じだ。

風も同じだ。風の匂いが同じだ。

やはり、僕はここに居た。この部屋だって40年まえはなかった。きっとすぐそばの部屋に僕の部屋はあったに違いない。

今では、このアシュラムが巨大になっていて、ロケーションと建物のピンクの色だけだが、同じだと思ったのに。

音が、風が、一緒だ。

瞑想の終わりに、不思議な涙をほほに感じた。

そして、その時に僕がお目にかかったはずのスワミの名前も解明した。

スワミ・シバナンダは1963年に亡くなられていたのだから、一体誰だったんだろうと思っていた。

スワミ・クリシュナンダという方だったということが判明した。2001年に亡くなられたそうだ。

次の日の朝のプージャ(お祈り)に出させてもらうことにした。

(続く)

 

 

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