シドの家に電話をした。

シドの家に電話をした。

昨日、シドの家に電話をした。

彼の死のことを、ブログに書いたので僕の気持ちがすこし楽になったようだ。

自然に電話をする気持ちになった。

 

奥さんが元気なさそうな声で出て来た。

いつもなら、シドを上回る元気な大声で話すジェラルディーンなのに。

 

「皆で95歳の誕生日を祝ったのに、21日には亡くなったのよ。」

 

そうだった、夏だったシドの誕生日は。

いつか彼の誕生日に72丁目のアパートに伺ったことがある。

僕たちが着いた時には、シドはまだテラスで上半身はまあそれなりのシャツを着ていたけれど、下はまだパジャマでくつろいでいた。

 

「シド、まだパジャマじゃないか?そろそろ皆集まってくるんじゃないか。僕としては、そのままで良いけど。」

「そうだそうだ、着替えの途中で話に夢中になってしまったんだよ。」

 

いろいろな人が入れ替わりやって来た。

シドは明らかに太り過ぎなので椅子から立ち上がるので大変。

 

彼は、とにかく人が好きだ。

シドの回りに集まって来る人たちは、シドの名声を利用しようというのがあからさまな人たち、とにかくシドが好きな人たち、一攫千金を夢見ている人たち、そんなこととは無関係な人たちなどが混じっていたと思う。

僕はその中間くらいかな(笑い)。

僕の40歳の誕生日にも、彼が出席してくれた。

40歳とか50歳とかの時には、BIG40とかBIG50とか言って大げさに祝うしきたりがアメリカにはある。

当時のガールフレンドのリズがサプライズパーティにしようと僕の秘書達と一緒に内密に計画を進めていた。

僕は僕で自分で計画を始めて、シドに招待の連絡をした。

シドは、「ああ既にリズに聞いているよ。必ず行くよ。」

これで、サプライズはオジャン。

 

大きなロフトを借りて、のべ150名くらいは来た大きなパーティになった。

仕事関係のクライアントのビジネスマンから、僕の遊び友達やら、昔のガールフレンドやら、年齢も様々。

誕生日なのに、ビンゴがあって出席者にちょっとした景品が当たったり、プロのベリーダンスがあったり賑やかだった。

シドにもなにか景品が当たって、無邪気に喜んでくれていたのを覚えている。

そうだ、その時にシドは例のチケットを一枚ビンゴ景品に寄付してくれた。

 

ソーホーの僕のスタジオに、ふと現れることがあった。

近くに小さなエンパナーダ専門の店があって、そこのエンパナーダを紹介したらスイート好きなシドは必ずそこに寄るのが決まりになっていた。

エンパナーダはアルゼンチンの餃子みたいなもので、肉が入っていたり、甘いジャムが入っていたりする。三席程しか無いこの店はとびきり美味しかった。

一緒に行った時にはシドがあまりにも美味しそうに食べるので、お店の人がもう1つ無料で上げた。

シドは、その瞬間、世界で一番幸せな男みたいになってしまうのだった。

 

僕は、そういう純粋な子供のところが好きだった。

亡くなる9日前の95歳の誕生日をきっと、とても嬉しく過ごしたに違いない。

そんなに甘いものを食べないで!とか言われながらも思いっきり食べて、

とにかく人の家族のことを真剣に心配して。

ポール・マッカートニーやジョン・レノンに対しても、そして僕のような者にも、それは同じだった。(ポールとの微笑ましいエピソードも今度書きたい。)

 

大往生だったと思う。

 

どんな人にも同じように振る舞うこと、些細な喜びを純粋に喜ぶこと。

それが大人でも可能だということ。

それらは、僕がシドから頂いた目に見えない大きなギフトだ。

 

どこか頼りないところもある夢見がちな、素敵な先輩だった。