昼寝は貴重。昼寝を皆ですると原初的な安心感が湧き出て来る。

本当に久しぶりの投稿になりました。それは書くべきことが無かったのではなく、有りすぎたというのが事実です。

僕はメモをするのが趣味だったのに、そのメモさえ付ける余裕がなかったくらいに、いろいろあった。過ぎた日々を振り返るとそういう感じ。

ただただ毎日を一生懸命こなしている感じなんだけれど。

もう少し余裕をもって生きたほうが豊かだなあと思う。その余裕の時間が毎日たったの一時間でも。と思うのは僕だけではないはずだ。

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ローマ郊外で行ったリトリートでの昼寝。木陰と日光が美味しかった。
ローマ郊外で行ったリトリートでの昼寝。木陰と日光が美味しかった。

ところで僕の一日行うワークショップや、週末のワークショップでは、必ず昼寝があります。

昼ご飯の後に、皆で15分から20分ほど昼寝をする。

表参道のタオゼンスタジオで行う時には、ヨガマットを敷いて行う。

パリでも、オランダのワークショップででも、もちろん今回のローマでのリトリート(合宿)でも行う。

当初は、かなり高度な昼寝の方法も教えながらの昼寝だったのが、今では、とにかく幼稚園園児のように楽しく皆で昼寝でーす、という感じです。

これをなぜ行うかというと、1つにはランチを頂くととにかく眠くなるから。だから中学校とか高校の昼のあとの授業はもうなんだかさっぱり分からなかった。

そんなに眠くなるなら、自然に寝たらどうだろうという発想。

そうすると午後の効率が素晴らしい。昼寝をしないでやったことも何度かはあるのですが、皆も、僕もとにかく眠くって効率が上がらない。

でも、もっと大切な理由があります。

それは人間は、長い間きっと昼寝をしてきた、しかも1人で昼寝するのではなく、結構みんなで昼寝をしてきたに違いないということです。

石器時代から農耕時代でもやはり昼寝はきっとしていた。しかも1人ではなく少なくとも数人、多い時には何十人で一緒に。

1人だけでは人間には危険すぎる。

大きな木の下に集まったり、ちょっとした窪みだったり、風を凌げる場所だったり、小屋だったり、寒さを凌ぐ火の回りだったり。

それが18世紀半ばから19世紀の始めに起きた産業革命以降、昼寝は効率が悪いから止めるようになったのではないでしょうか?

社会の仕組みは、あっという間に変化がおきることがあっても人間の生理的なことはそんなに簡単に変わりません。

なんにも説明しなくても皆で真昼寝をすると、不思議に仲がよくなる。心と身体が安心するのです。

それは、きっと原始の時代から我々人間が行ってきた原初的な行動によって、深い共同意識のどこかが沸き起こって来るからではないだろうか。

最初の日は、躊躇する人もいるのですが、二日目からは昼寝は今日はやめようかなあというとどこでも、ブーイングです。

パリでは、小劇場を借りてワークショップを行ったことがある。舞台では横になれるような床ではない。今回は昼寝は辞めようかと僕が言い出したら、いや観客席で横になろうということになって、皆で観客席で昼寝をしたこともあった。

インドでは、大きな木の回りで昼寝。オランダでは、大きな講演会場の床で。

今年の6月に行ったローマ郊外でのリトリートでは、天気がよくって大きな木が沢山あったので、そこで昼寝。

お腹いっぱいのイタリアンの後だったので、ゆったりと30分程。その後の瞑想は格別だった。

今週末、タオゼンではドリームプラクティスを二日にかけて行います。

皆で何度も昼寝もするのですが、眠りということを考えてみたり、夢の見方を学んでみたり、ヨガニドラをしたりします。

僕たち人間は人生の4分の1以上も眠っています。眠っている時間はただリラックスしているわけではありません。

眠りをどう生きるかということが生きる上で重要であることは確かです。

しかし、眠りについて学ぶことも、練習することもあんまりありません。

それを敢えて考えて、練習してみようというのがドリームプラクティスです。

眠りになにか問題を持っている方、夢をもっと大切にしたい方、眠りをもっと積極的に大切にしたい方、皆でする昼寝を楽しみたい方、ぜひドリームプラクティスのワークショップに参加ください。

 

 

 

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