巡礼の意味。TaoZenフレンズ三回目。(2の1)

TaoZenフレンズの三回目は、5月30日に表参道タオゼンスタジオで行われました。

生きる=Art を実際に生きているフレンズを招いてリラックスした形でいろいろ話をしてもらうという企画です。

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今回は、1980年初期以来の友人で、タオの修行を一緒にNYで始めたJuan Liでした。

今回、彼は四国八十八カ所の巡礼の旅をするために日本に来ました。彼は、これまでもサンチアゴの巡礼を3度、インドや中国の巡礼もしてきました。

僕の友人の中でも最も巡礼者、修行者の雰囲気の強いホアンですが、会うといつでも心が洗われます。

今回は、写真を見せながら、巡礼の意味、そして生きるということの意味を熱っぽく話してくれました。

参加者の西牟田さんが、詳しく話の内容をまとめてくれました。

そのレポートを2回に分けて紹介したいと思います。

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TaoZenフレンズ第3回 (1/2)

世界をめぐる巡礼者ホアン

ホアン・リーさんはこれまでインド、中国、スペインのサンティアゴと巡礼の旅を重ねてきた。人生6回目となる巡礼の地は日本の四国、お遍路。3か月かけて八十八ヶ所の霊場を徒歩で巡った。

チェックのシャツにコットンパンツ姿。巡礼とは何か、まるで道を聞かれたかのように気軽に語ってくれた。

50歳で始めた巡礼

ホアンさんは50歳を迎えたとき、初めての巡礼に出ようと思った。

場所は中国。13の聖山を巡る道程は単なる登山と違って死と隣り合わせ。峻険な山道を歩き、断崖絶壁の岩肌にしがみついてようやっと足を置ける断崖の縁をジリジリ進む。

巡礼は観光の旅と違い、死を体験する修行だという。リアルな死にギリギリまで近づいて初めて死というものを本気で考える。「自分はどう死を迎えるのか」。

死出の旅支度

巡礼の途中でもしかして死ぬかも知れない。

そう考えるとやり残して行けないことが多々出てきた。家や財産などはどうするのか。借金など残っていないか。気まずくなって疎遠になった相手ともう会うことはできないかも知れない。 そんな心残りをリストにした。ひとつひとつ終わらせ、すべてやり終えるまで8ヶ月かかった。

そこで彼は気づいた。「何ひとつ先延ばしにできない」。

例えば人と嫌な関係になったとする。「時間をおいて後日話し会えば…」ということは最早できない。今必死で終わらせている「棚上げのリスト」が増えてしまうからだ。

何かあった時「今何ができるか」「どうやったら心残りなく生きられるか」を真摯に考えるようになった。

1996年、彼は初めての巡礼に出る。中国の聖山を15ヶ月間歩き通した。

その厳しい旅を支えたのは、旅の前に自分自身と交わした約束だった。

巡礼を支えた自分との約束

巡礼に出る前、ホアンさんは自分自身と約束をした。例えばこんなことだ。

(1)巡礼を最後までやり遂げる

(2)出会った相手が何か求めてきたら欲しいだけ与える

当時の中国の人々は外国人とみると相場の10倍は吹っ掛けてきた。求められる額を渡し続けたら持ち金が瞬く間に尽きてしまう。

そこで1日の予算を100ドルと決めた。

100ドルの上限に達するまで、現地の人々が法外な額を吹っかけてきても言われるがまま渡した。腹も立てず嫌な気持ちにもならず。

(3)訪れた場所を気持ちよい場所に変えて去る

行ったところ、泊まった場所、自分が通るところを綺麗にして歩いた。当時の中国は聖山とはいえゴミだらけ。まるでゴミ収集車のようにゴミを拾い集める。ゴミを拾って代わりに愛の気持ちを置いた。

自分との約束を果たす意味

自分との約束を守ることは非常に重要だという。約束を果たしていくと自己肯定が増し自分を高次の存在として感じられる。まして、巡礼のときに立てた約束を守りきると特別なことが起きると言われている。

逆に、巡礼に限らず、日常生活で自分で決めた約束を破りつづけると・・・。自己否定感でいっぱいになり体が病を得てしまうことも。それだけ自分で決めた約束を守ることは大切だ。

最初は小さな約束でよいそうだ。たとえば「2日間腕立て伏せをして腕の筋肉を鍛える」。2日やりとげたたら完了。次に別の約束をする。「5日間エスカレーターではなく駅の階段を上る」。5日やりとげたら完了。こんな風に、約束を守ったという事実を積み重ねていく。すると自分の中に自己肯定感、自分を敬う気持ちが生まれてくる。

四国お遍路でホアンさんが立てた約束

ホアンさんが四国でお遍路をしたとき、こんな約束をしたそう。

(1)毎日マントラを108回唱える

(2)訪れた場所を気持ちよい場所に変えて去る

(3)会った人すべてを自分の師だと思う

「訪れた場所を気持ちよい場所に変えて去る」ことは、実際のゴミだけではない。事故で亡くなったひとの思いなど、目に見えないものも含まれた。

歩きながら、近くに暮らす人々が健康で幸せになりますように、との思いを置いていったという。

それはよく耳にする「清める」とか「浄化」ではない。

「その土地と、そこに住む人たちとハートでつながること」。

「会った人すべてを自分の師だと思う」ことは、日本は良い人ばかりで難しくなかったそう。ところが、「中国の巡礼のときこれをやるのはキビしかった」とペロッと舌を出して見せた。

巡礼の旅の前半、「師と思うにはツラすぎる人々」ばかりであった。ところが、旅が後半に差しかかったころ、ピタリとあらわれなくなった。後半になると会う人会う人が心から師と呼びたい人たちになったという。後半の彼らはホアンさんを心から助けてくれた。

 

(第二回につづく)

 

 

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