ばななさんとのQ&A

ばななさんのTaoZenスタジオでの朗読会での話の内容で、いろいろ考えさせられることがありました。その中から、いくつか。

もう10日以上も経ったのに、ばななさんが話してくれたちょっとした事が心の中でいろいろな形で動いています。彼女の意識の大きさを証明しているのだと思う。

「親というものは、子供にどうしても箱を作ってしまう。なんとか箱にはめないようにするのに、やはり無理なところがある。でもなんとか出来るだけ箱を作りたくない。」 全くそう思う。母親とか父親とかに限ったことではなく、人間同士で、そうだと思う。そして自分に向けてもそう思う。どんな箱を自分が作っているのかを常に自己検査して、それを壊しては、また作って、そういう作業の必要がある。

「日本は、死というものから何歩も遠いところで生きている。アルゼンチンでは、皆、もっと死というものに近く生きている実感があった。」アルゼンチンには、僕も10年くらい前に2週間ほど滞在した事がある。その時は、アルゼンチンが最悪の状態の時のひとつで、銀行が開いていたのが、たしか二日半だけだった。換金するのが大変だった。でも現地の人はそんなことは慣れていて平気だった。サッカーを見に行くにも、かなりの覚悟が必要だった。身の危険をひしひしと感じて出かけた。

NYでの僕の友人で亡命して来た人も何人もいる。確かに死ということや、社会の緊張感というものが身近にある。現代日本では、ほとんどそういうことを感じる機会もないようだ。生きるということは、死で支えられているところがある。

「明日、世界の終わりだと知っていても、相変わらずの生活をすると思う。お弁当を作って、普通の話をして、そういうことをすると思う。」

同感です。僕も、明日が最後の日だとしても、相変わらずに普通の瞑想をしたり、食べたり、友人と話をしたり、そういうことをすると思う。これが、どういうことを意味するかは分からないけど、僕は、いままでなんどもこういうことを言ってきた。その度に、?みたいな顔をされた。この日の、ばななさんがどういう意味を持って、こんなことを言ったのか、後で伺いたいと思う。

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