Qi=LOVE 気とはなんだろう?
- 2019.02.21
- その他
『気=LOVE』『 Qi is Love』
気の同義語は、LOVE。
長い間、気とかプラーナとかそういうものと取り組んできた。
瞑想、太極拳、チネイザン療法、気功、呼吸法など、振り返ってみたら
十代の時からずうっと続けてきている。
“気”とは何か?
これはいつでもテーマだ。
インドに行っても、NYにいても、東京にいても、ずうっと根本的なテーマだ。
この10年くらいは、僕の中での答えは“気はLOVEだ。”ということで納得している。
気を流す気功法とか、プラーナヨガとかも学んでみた。
気が滞っているから具合が悪くなると言う説明もなんども聞いた。
英語ではlife fore energy とか、最近では単にenergyとも言っている。
エネギーヒーリングとか良く聞く。
僕の中ではどうもピーンとこないと言うのが正直なところ。
気という言葉で表現されている大切なものがあることは実感している。
じゃあ、それを自分の言葉で納得できるものがあるのだろうか?
楽しい、興味がある、ワクワクする、強く魅かれる、とても自然体でいる、そういう時にこそ気の実感がある。気は、どうも命令やコントロールを嫌うもののであることは確かだ。
いきなり感はあるけれど、実はいろんな自分なりの多くの経過を通して“気=LOVE”で僕はピーンときている。
LOVEと愛のニュアンスの違いがあって、どうもLOVEになってしまうのは、日本人としては悔しいところもあるけれど。
LOVEにも、気にも様々な種類の気がある。
相手を窮屈にする愛、溺れてしまうような愛、利己的な愛、大きな愛、いろいろある。
Unconditional LoveとかEnhancing LoveとかいうLOVEがきっと目標としたいLOVEだろうと思う。
気が流れる方が滞るよりは、はるかに良い。愛も動いてはじめて意味が出てくる。
そして、どんな気なのか、どんな愛なのかを自分でいつも正直に確認しておく必要がある。
このことは、チネイザンにも、瞑想を行うときも、気功を行うときも非常に大切なことだ。
特に、インストラクターになる人や施術者は、教え方や技術が高いということ以前に、そこにLOVEはあるのか、そしてどんなLOVEなのかを確認、点検しながら進めていくことが大切だ。そんなことを何十年もかかって気がついてきた。
(気という漢字よりは、氣という漢字の方が本来のことを表現している。メは閉じる、米は広がるというニュアンスがある。でも、今は気というデザインの方がなぜか親しみやすい感じがする。だから気という漢字を使った。)