願いということ。 (続き)

前回、願いということについての瞑想をするという説明をしましたが、それについてもう少し詳しく説明したほうがいいかと感じました。

例えば、健康になりたいですか?お金持ちになりたいですか?
とか訊ねると、皆、当たりまえだと言うと思います。
でも、本当にお金もちになりたいと願っているのか、健康になりたいと思っているのか、幸せになりたいと思っているかということが一つ検討する必要があります。

?と思うかもしれませんが、大抵の場合は、(僕自身も含めて)ほどほどに健康になりたいけど、本当はもしかしたら不健康がいいとおもっているのかもしれません。あるいは、健康という意味がはっきりしないで、単に健康がいいと思っているのかもしれません。あるいは、実は、深層心理のところで実は、ちょっと病気のほうがいいと思っているところがあるのかもしれません。そのほうが楽だし、他人にも面倒を見てもらえる。そういう昔からの癖がいまでもあるのかもしれません。

お金に関しても、じつは本当がお金持ちになんかなりたくない、あるいはお金もちになったら、幸せになれないとか、そういうことを実は本当は感じているのかもしれません。

幸せにかんしても、実は幸せというものがありえないと思っているかもしれません。

とにかく、そうしている限り、どんなに頑張っても、なかなか健康にも成りにくいし、お金もちにも、幸せにもなりません。
身体と心のすべてが深く感じている方向に、我々は引っ張られる法則があります。

そういうことは確かなのですが、では、実際なにをしたらいいかということになります。

自分の願いということを再点検すること、いったい願いとか意というものはなんなのか。
もっと明確になった願いというものを、どうするのか。

こういうことを30日のThree Wishesでは、皆でやろうというわけです

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