予定通り、NYに戻ることにしました。一ヶ月後には、戻ってきます。

24日(木)に予定どうりに一旦、NYに戻ることにしました。来月24日には東京に戻ってくる予定です。

いろいろ迷いました。こういう時こそ、日本に居てなにかできることはないだろうか、なにか日本から逃げるような感じも多少ある感じもするし。沢山の海外の人から、とにかく日本をでなさい、ぜひ家に来て欲しいという話もいっぱいありました。当初、本当に状況がもっと悪くなったらどこかに一旦移る必要もあるかなあとも思ったりした。

なるべく平常通りのスケジュールで進めるという方法は確かにひとつの方法だし、NYでの仕事もすでに幾つも有るし、僕のもうひとつの故郷であるNYから、今回の災害を見つめ直すこともとても意味があるだろうと考えた。もし、最悪のことが起きたら、それだったら、すこしでも健康で意気の良いヤツが残った方が良いとまで考えた。いずれ、僕らが日本の為に、本当に立ち上がらないといけない時が近い将来にくると思っている。(大げさかなあ、でもこれ本気。)

いろんな事を考えようと昨日書いたけど、かなり高尚なことから、かなり自分勝手なことから、摩訶不思議なことまで考えるものです。それを無理矢理、整理をしないで、でも勇気をもって積極的に生きていきたいと思う。

海外では、今回の災害へのニュースの取り上げ方の熱が、日本国内とはかなり度合いが違うようだ。とくに原発のことに関しては相当ちがう。例えば、この災害と事件がフランスで起きたと仮定してみよう。そうすると僕たちは、とにかくパリにいる友人たちになんでも良いから、出た方がいい。すぐに家に来なさいと言うことは間違いない。日本国家は、すぐに日本人をヨーロッパから返そうという動きになるだろう?もうフランスのワインも飲めないとか言っているに違いない。フランスだけではなく、イタリアも、イギリスも危ないと言っているに違いない。

昨日話したNYの友人は、6月に日本に旅行にくるはずだったものを、既にキャンセルして、当分は日本にはいけないなあと、真剣に言っていた。

一方、2004年のプーケットでの津波の災害も凄まじいものだった。でも、ほとんどの日本人や、アメリカ人にとっては、なんか対岸の火事な感じだったのではないだろうか?僕にとってもそういう感じだった。日本だったら、まあ、もっと対処できるだろうとしかも、NYで思っていた。あの映像は心に残っているけど、なにか現実感のない映画みたいに残っていた。

中近東で起きているいろんな事も、なにか自分たちにあんまり関係ないと思ってしまっているような気がする。いまや、世界中で起きている事は、自分のこととして考え、感じないといけない。

そして実際の行動は、自分のできるところで行っていくしかない。

「今回の悲劇で亡くなった多くの方のことを想うと、ある部分、あるかたちで我々自身も亡くなったのがと痛切に感じます。人類の一部の苦しみは、全人類の苦しみです。」とティク・ナット・ハン師がメッセージを送ってくれたそうだ。流石です。

NYに戻る前に、もう一度、TaoZen表参道スタジオで静かに「みんなでする呼吸と瞑想」をしようと思っている。


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