被災地へ行ってきました。

目次

被災地でボランティアをしたいという強い想いがありました。ヨーロッパに行く前に、ぜひ行来たかったのですが、方法も見つからず、時間も見つからずに、どうしたらいいのかと迷っていました。

NYの9・11のとき現地に住んでいた僕は、TVでの映像や情報とは全く違う現実を感じていました。今回の大災害でもきっとずれがあるに違いないし、現地を訪れることで何かを感じ、役に立てたら。でも仕事もあるし長くは行けない、3日くらいならどうにかなるかもしれないけどそんなことでいいのか。

特別なスキルがあるわけでもないがそれでもいいものなのか、かえって足手まといになりはしないだろうか。迷いは尽きません。

しかし、被災地に行った知人たちは皆、何か大きな想いを感じてきて、ぜひ行くべきだと言ってくれました。

ちょうど、日経のライターのかやしまさんも同じ想いだったので、、とにかく行ってみることにしようということで実行。

ボランティアが不足しているという宮城岩沼市のボランティアセンターに連絡してもらったところ、半日でもいいからぜひ手伝いに来てほしいとのこと。ホテルはどこもいっぱい。始めてのカプセルホテル初体験かと興奮したのもつかの間、そこもいっぱい。車内泊もなあと思っていたところ、お湯も出ずシャワーもないという郊外のホテルが開業し始めたところがみつかり、ようやく現地に向かいました。

僕たちが目指した岩沼市は仙台市から車で約40分、被害の大きかった仙台空港の近く。ボランティアセンターに行って登録を済ませたあと、12人程度のグループに別れて簡単なオリエンを受け、マイクロバスでそれぞれの現場に。

僕たちは南浜中央病院に向かいました。このあたりは過去、津波を経験したことがなく、まったく想定外だったそうです。ここでは、ゴム長靴やスコップなどは用意されていましたが、防塵マスクやゴーグル、軍手、ゴム手袋、帽子、タオルなどは持参。この病院は海からは1キロ以上は離れているものの、2階の床まで津波が来たあとが残っていました。3カ月経った今でもまだ、内部は泥や砂利でいっぱい。燃えるゴミ、燃えないゴミ、粗大ゴミ、医療器具、土などに分けて、病院の敷地内に移します。病院関係者が数名、あとはすべてボランティアが行います。

床には、泥にまみれた書類や衣類などが50センチは堆積して散乱しています。戸棚を開けても泥だらけ。

これを仕分けして、工事用一輪車(猫車)にのせて運びます。性能のよい粉塵マスクを持参したのですが、これがとても暑い。ゴーグルはさすがに暑すぎて無理。

午前中2時間の作業を終えるといったんマイクロバスでセンターに戻って、1時間ほど休憩。午後は持ち場が変わることもありますが、僕たちは同じ病院で作業に。グループ内で選抜されたリーダーが、作業や休憩の指示や本部との連絡をとったりします。午後はなぜが僕がリーダーになり、作業の目標を決めて作業したり休憩をとったり。最後にお疲れさまの一本締めもしてしまっていた自分がいたのに、どこにいても、ちとばかりやり過ぎの自分に、笑ってしまった。

知らない者同士が黙々と作業をしているのですが、自然とチームワークが生まれ不思議な親しみすら覚えます。福井から来たという同僚4人組、東京からひとりで来た歯医者さん、大阪から車に乗って来た農業を営む強そうな男たちなど。女性も2人いました。20代から60代まで、さまざまなプロフィールの人たちですが心はひとつ、何とかしたい、どうにかしたいという想いです。14人がかりで、1日中懸命に作業し、ようやくナースセンターのあたりにスペースが生まれました。

僕たちが取り除いた泥は、ほんの少しだったけど、心は沢山動いた!

そして次の日には、腰が痛くなるのでは、と思っていたのに、心もからだも快適!!

肉体労働となにか人の為に役になったのではないかという気持ちは、清々しいものがあった。

次の日には、避難所を訪問しましたが、その事は次回に。

仕事が終わって。リーダーの腕章が笑える!

Post to Twitter