ガネーシャのお祭り

ガネーシャのお祭り

チェンナイに来たのは、マリニというインドの親子の招待。

彼女たちには、どうしても隠せないような代々続いて築きあげた気品のようなものがあった。母親は80代だろうか、マリニは、50代だろうか、教育も生まれも上級だということが、自然に出ている。彼女たちは、僕の太極拳と瞑想の朝6時半からのクラスに毎日出てくれた。実は、インドに来てから分かったことだけれど、マリニの家族は、この辺りでは有数の財閥の家族らしい。

この4、5年僕はインドに戻りたい。インドから学び返したい、そしてインドに恩返しもしたい、という気持ちが湧いてきていた。

突然、ぜひ、チェンナイ(マドラス)に来てワークショップをして欲しいと彼女たちから言われた。彼女たちの関係しているクラブで教えて欲しいということだったけれど、僕はそれだけじゃなくって、なにか子供たちの施設とかそういうところでなにか出来ないでしょうか、それと折角インドに行くのだったら、インドでなにか瞑想とかヨガとかを学びたいと図々しく頼んでみた。そしたら、とても喜んでくれて、私たちがやっている学校でぜひ教えて欲しい、クリシュナムルティとはとても親しい仲だったし、彼のインスティチュートでなにかアレンジしましょうという答えだった。

ちょうど、9月の上旬に僕はオーストラリアでのワークショップのために10日間とってあったので、その時ならば出来ますがとお答えした。5月の話だった。

マリニの家に行った。すばらしい家だ。現代的なデザインとインドの伝統がミックスしている。置いてあるアートもインド、チベット、インドネシア、新しいもの、古いものがミックス。床や窓のデザインも隅々まで心が行き届いている。

「今日は、象の神様のお祭りでセレモニーをするんですが、一緒に参加しますか?」

「それは、ガネーシャのプージャということですか?」僕はインドの神様のことを沢山知っているわけではないけれど、ガネーシャは大好き。僕がガネーシャが好きだということが分かったら、とても喜んでくれた。

「こんな大切な日にインドに来たのは、なにか強い縁があるのでしょうよ。」と言ってくれた。僕は、大抵はそういう迷信的なことや、星座的なことは、実はあんまり信じていないところがあるけれど、僕が信じている人がそう言ってくれると、きっとそうだ!と思ってしまうところがある。そして、僕はほとんど知らないマリニを信じている。

とても品の良いお祈りの為の部屋が家の中にある。沢山の人が働いているようだけれど、この部屋には僕とマリニ、そして行者というかお坊さんというのだろうかの三人。愛犬も、誰もこの部屋には入れないのかもしれない。約30分くらいのお祈りやお供えをした。最後には第三の眼の所にビンディまでつけてもらった。大満足の自分に、笑ってしまう。

ビンディをつけてもらって満足。怖い顔をしているのはセルフで撮ったからです。

ガネーシャは、なにかを始める時に、最初にお祈りをすると良い神様らしい。そうすると事がスムースに進むと言われている。僕はとにかく象の頭をもった、お腹の大きな、その様子が大好きだ。座って瞑想していたり、寝転んでいたり、日傘をさしていたりする姿も、単純に好きだ。そんな気軽な気分で、神の姿に思えるようにしてくれているインドは、フトコロが深いと思う。

そして、僕はこのガネーシャに願いを混めて、決意した。これが本格的な今回の瞑想の本のスタートだと。いろいろ考えて作業は始めたものの、あんまり進んでいないこのプロジェクトを僕の中できちんとスタートさせました。ガネーシャの助けも、皆の助けも沢山必要なプロジェクトです。瞑想に関して書くということ、簡単にだれでも出来る瞑想というテーマなとこと、そしで出来るだけ沢山の人に伝えたいということ、分かり易くでも本当のことを書くということ、多くの大変な問題があるけれど、今の僕に出来るだけのことをしたい。変な日本語しか書けない自分にイライラしながら、でも進めていくぞ。

ガネーシャ、宜しくお願いします。

(9月1日 チェンナイで。)

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