何のために瞑想をするか? (後編)

何のために瞑想をするか?の続きです。何のためにするかという問いかけに、それなりの正直な答えが見えてきてから、、、、

僕が、ここでもう一つ気をつけている事をシェアしましょう。出てきた答えを、それが本当なのかを検証するときに、三つの方向から見てみます。あたかも三つの答えを探すような方法です。第一は、自分個人にとってワクワクするようなことかどうかです。かなり自分の我が侭に感じることでもOK。とにかくワクワク感があるかどうか。第二は、回りの人にとって良いものか?破壊したり、侮辱するものではないか?表面的には、反発や、傷ついたりしたり、不協和音になったりしても、根本的には回りにとって良いのではないかと感じるかどうか? 三番目には、ちょっと大げさな気分になって、それが世界に、人類に、宇宙に、歴史に好い事だろうか?意識の進化に貢献しているのか、を確認することです。(意識の進化ということについては、別にお話したいと思います。)

この三つが自然に調和している時には、すっきりした心と身体で瞑想ができます。9日に行なう「願いが叶う瞑想」にもこのポイントが重要になってきます。

世のためになっても、自分にとってワクワクするものでなくてはパワーがでませんし、幸せになりません。自分にとってワクワク楽しいものや、どうしても欲しいものでも、それが、もっと大きなものや世界と同調していないと、パワーがでてきません。

この問いかけは、瞑想だけの時だけではなく、すべてのことで問いかけることが必要かもしれません。仕事、人間関係、趣味、すべての選択、決断、行動、言動にたいして。でも、いつもいつも自分に問いかけていると進みませんし、重たい気分になるでしょう。だから、僕は瞑想をする時に、時々、この問いかけをしています。瞑想自体が、普段の「生きる」を点検してくれているところがあるので。そして瞑想以外の時には、とにかく自由に生きてみる、失敗しても良いし、うまく行ってもいい。とにかくできるだけ、とらわれずに進めてみる。そして、また瞑想を通して確認する。

そういうことが出来ている時には、無駄な心配も躊躇もなく、楽しいものです。

楽しく、生き生きいきるため、そして、それが自分の我が侭だけでない生き方、そういう生き方が、その人なりのペースと範囲で自然に芽生え、成長していく力と智慧が瞑想の中に隠れています。

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