2012.01.03

何のために瞑想をするか? (後編)

何のために瞑想をするか?の続きです。何のためにするかという問いかけに、それなりの正直な答えが見えてきてから、、、、

僕が、ここでもう一つ気をつけている事をシェアしましょう。出てきた答えを、それが本当なのかを検証するときに、三つの方向から見てみます。あたかも三つの答えを探すような方法です。第一は、自分個人にとってワクワクするようなことかどうかです。かなり自分の我が侭に感じることでもOK。とにかくワクワク感があるかどうか。第二は、回りの人にとって良いものか?破壊したり、侮辱するものではないか?表面的には、反発や、傷ついたりしたり、不協和音になったりしても、根本的には回りにとって良いのではないかと感じるかどうか? 三番目には、ちょっと大げさな気分になって、それが世界に、人類に、宇宙に、歴史に好い事だろうか?意識の進化に貢献しているのか、を確認することです。(意識の進化ということについては、別にお話したいと思います。)

この三つが自然に調和している時には、すっきりした心と身体で瞑想ができます。9日に行なう「願いが叶う瞑想」にもこのポイントが重要になってきます。

世のためになっても、自分にとってワクワクするものでなくてはパワーがでませんし、幸せになりません。自分にとってワクワク楽しいものや、どうしても欲しいものでも、それが、もっと大きなものや世界と同調していないと、パワーがでてきません。

この問いかけは、瞑想だけの時だけではなく、すべてのことで問いかけることが必要かもしれません。仕事、人間関係、趣味、すべての選択、決断、行動、言動にたいして。でも、いつもいつも自分に問いかけていると進みませんし、重たい気分になるでしょう。だから、僕は瞑想をする時に、時々、この問いかけをしています。瞑想自体が、普段の「生きる」を点検してくれているところがあるので。そして瞑想以外の時には、とにかく自由に生きてみる、失敗しても良いし、うまく行ってもいい。とにかくできるだけ、とらわれずに進めてみる。そして、また瞑想を通して確認する。

そういうことが出来ている時には、無駄な心配も躊躇もなく、楽しいものです。

楽しく、生き生きいきるため、そして、それが自分の我が侭だけでない生き方、そういう生き方が、その人なりのペースと範囲で自然に芽生え、成長していく力と智慧が瞑想の中に隠れています。

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| Posted at 15:00 | 未分類 | この記事のURL | コメント(6)


 

大内さんありがとうございます!私はこの文章を、「物事を決めるときに、必要な手順」として読みました。さっそく今日この手順を使って自分の物事を整理しなおしてみたら、いくつか新しく気がついたことがありました。ありがとうございました。

posted by:けい at 2012.01.0508:20

大内さん、質問です。瞑想をする前に確認して、この3つが調和していないことに気がついたときには、どうされていますか?つまり、自分がわくわくしていない、あるいはこの瞑想をする目的は他人を傷つけるかもしれない、あるいはこの瞑想の目的は進化の意識と調和していないかもしれない、そう自分で気付いた時の話です。

posted by:けい at 2012.01.0623:36

僕は、それでも瞑想をするべきだと信じています。まず、気づくということがなによりも、大切ということ。それから瞑想には、願いや、祈りと違って、こういう個人の意識を越えるなにか、もっと大きなものが基本的に土台としてあるからです。個人にとって良い事でも、悪いことでも、そんなことを越えるような存在というか、パワーというか、そういうものです。
だから、僕は、自分の小ささを認めながらも、もっと大きなものに支えられていることだけは確かなのだから、そこから来る瞑想というものを信じて、「そこに居る」ことをするのが良いと思っています。

最近、どうもなんか自分をさておいて、いろいろ生意気なことを書いています。でも、多くの人から、応援を頂いているので、もう少し続けてみますね。でも、阿呆でオッチョコチョイの大内が本性ですから、おわすれなく。謙虚なのか、自分で安全範囲をつくっているのか分からないねえ(笑い)。

posted by:masahiro at 2012.01.0700:18

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します☆大内さんから教えていただいてる瞑想は”そこにいる”というものですが、なりたいものに近づく為にする、何か対象をおく瞑想方法はたまたまやっていないだけですか?それともあまりオススメされていないからなのでしょうか?

posted by:あーさ at 2012.01.0821:40

例えば、明日行なう「願いの叶う瞑想」などは、対象があります。また祈りの入った瞑想などもあります。でも、基本的には、純粋な瞑想は対象がほとんどないものだと思っています。
対象のある瞑想を、いつも行なうのはどうかなあと思うところがあります。本当に必要な時だけにしたほうがいいかなあと思っています。
いつか、このことも何か書きたいと思っています。質問有り難う。

posted by:masahiro at 2012.01.0900:27

大内さん、先日はお答えありがとうございました。大内さんの答えをもらってからは、瞑想の前に「どうして瞑想をするんだろう?」と自分に問いかけてきました。

問いかけるようになって分かったことがあります。それは、自分が思っている「瞑想をする理由」と、本当にその時自分が思っている「今ここで瞑想をする理由」というものが違っていることがあるということです。

瞑想をしているうちにふと、「ああ、本当はこの理由があるから瞑想をしたかったんだ」と気がつくようになりました。それは多くの場合、自分が認めたくない理由なのですが、いったん認めてしまうとなんだかほっとする、そんな感じのものなのです。

この問いかけをまだ続けていくと次はどんなことがあるのかなあ(あるいは、なんにもないのかなあ)と思って楽しみです。

どうもありがとうございました。
お元気にお過ごしください。

posted by:けい at 2012.01.2710:08

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