内臓に微笑む。インナー・スマイル瞑想。

インナースマイル瞑想という方法があります。各内臓に微笑むという瞑想です。

この自分に微笑むということが、ピンと来ると言ってくれる人も、全く感じがつかめないという人もいます。すこし説明しましょう。

例えば、肝臓を例に取りあげましょうか。肝臓のことを普段感じたり、考えたりする人はほとんどいません。しかし、肝臓なしでは、生きていけません。肝臓がどんな事をしてくれているかを知らなくでも、肝臓頑張れといわなくても肝臓は僕たちの為に動いてくれています。肝臓は500以上の機能をしていると言われ内臓の大科学工場とも言われています。例えば、アルコールの分解、胆汁を作るなどからはじまり、解毒、代謝、排出、消化、体液のバランスなど、沢山の機能があります。

ところが僕たちには肝臓の動きや働きを感じることは、ほとんど無理です。沈黙の臓器とも言われています。

その肝臓に微笑むということは、まずは肝臓のある場所を大体分かる必要があります。そこに心を向けて、とにかく微笑んでみます。

そして、「いつも有り難う、これからも宜しく」と心で囁きます。生まれてからずうっと、働いてくれていて、死ぬまでお世話になるわけですから。

微笑むという表現にしていますが、どういうことかというと、「純粋無垢な微笑み」と、「なんでも認められる賢人の智慧の微笑み」の両面を持っています。

純粋無垢な微笑みというのは、メキシコやインドなどに行くと、あるいは日本でも田舎にいくと、ほんとうに純粋にただ微笑んでいるような子供たちと出会います。なにか欲しいわけでもなく、特に可愛げにしようとしているわけでもなく、ただ微笑んでくれている。そうすると、こっちは、なんだか微笑見返すしかなくなります。なかなか、ニューヨークや東京のような大都会ではそういう機会に出会いませんが。

こういうただ、微笑んでいるという感じで、自分の内臓に微笑む感じです。

なんでも認めるというのは、自分の内臓の調子が不十分だったり、あるいは、内臓のほうで怒っていたり、不安である可能性も、怒っている可能性もあります。どんな状況でも、それをそのまま認めるということです。期待したり、分析したり、批判したりしないで、そのまま受け止めるという賢人の智慧の微笑みです。観音様や大仏様みたいな感じでしょうか。

そんなことを自分の肝臓に数分してください。

それから、数分なにもしないで、そのままにします。安全な空間と時間を自分の内臓に作ってあげて、見守っている感じ。本来の生きる力、動きを邪魔しないで、そのままにしている状態です。考えずに期待せずに、そのまま。ここが瞑想の中心です。

インナースマイルを続けていると、自分が怒ったり、イライラしていても、内臓のどこかが、微笑んでくれている感じが分かってきたりします。内臓と自分は、お互い様です。内臓も自分の一部です。

こういうことを選んだ内臓にしてみましょう。心臓、腎臓、膵臓、肺、胃、生殖器など、なんでも良いです。一つ一つやってみましょう。

このインナースマイルは、簡単な方法ですが、とても奥深いものがあります。少しずつやって、深めてください。

自分の肝臓に微笑んで、肝臓からも微笑むことに慣れてきたら。他の人の肝臓にも微笑みを広げてみます。誰にでも肝臓があるのです。家族の人、大好きな人、大切な人、嫌いな人、気持ち悪い人、知らない人、みんなそうです。そういう人の肝臓にも微笑んでみることもできます。自分だけに肝臓があるわけではありません。自分の肝臓に、ほんとうに微笑むことができるということは、自分を越えた肝臓にも微笑むことになります。

微笑みというのは、強さと勇気をベースにしたものだと思っています。

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