瞑想と祈りの違い。

「瞑想と祈りとの違い」

瞑想と祈りは、外から見ていると同じように見えますが、かなり違うものだと考えています。

祈りを行なう時は、ココロや意図に、はっきりとした方向性があります。例えば、xxさんが病気から回復しますように!とか、私が幸せになりますようにとか、戦争が終わりますようにとか。あるいは、はっきりした神のイメージがあってその方向に向おうとします。

瞑想は、むしろ、そういう方向性がない、あるいはできるだけ少なくしている状態です。ただ、充分にここにいるだけで、なにも特別していない。方向も目的も無いような状態、あるいはすべての方向に広がっている状態です。

でも、その、なんにもしていないようにしようとすること自体が、目的になっているのではないでしょうかという疑問が湧いてきます。そして、その疑問は、とても正しいのです。その何にもしないということの方向性、目的をも、無くした状況を瞑想の状態というのだと思います。

祈って、祈って、それを続けているうちに、すっかり祈りから離れてしまう状態が自然と生まれたりします。それも瞑想への道だと思います。

逆になにも方向性をもたない瞑想が上手に続いた時に、どこからともなく祈り起きてくることもあります。それが実は自己を越えた本当の宗教的な祈りかもしれません。

まあ、僕たちは、気楽に毎日、瞑想をつづけてみませんか?その気楽さが、本当の瞑想を呼び込んでくれるはずです。自分に素直に、ゆっくりと淡々と。

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