瞑想で、情熱的に、積極的に、生きる。
瞑想で、情熱的に、そして積極的に生きる。
ほとんどなにもしていないような状態で、しかもとても受け身な感じさえ受ける瞑想で、より積極的に、情熱的に生きるようになる。
なにか不思議な印象を受けるらしい。本当の意味で積極的に生きる、情熱的に生きる、ということは、自分を深く見つめながらでなくてはできないことではないでしょうか?
そして瞑想は、究極の自己探求でもあります。
できるだけ期待や予想などをしないで、自分の中にあるものをそのまま見つめていくという事が瞑想です。
今までの生活の中で築き上げてきた自分のイメージやペルソナも捨てて、今の自分をそのまま観察、洞察する。
親から言われてきた事、他人から見た印象などで、自分で作り上げている自分像。それが肯定的なことであれ、否定的なことであれ、一度解き放して、心を身体を静かにして、観察しつづけます。
たとえば、小さい時に身体が弱いと言い続けられてくると、現在どんなに健康な人でも自分は弱いというイメージが残ることが多いのです。どんなに綺麗な女性でも、あなたは可愛くないとか、太っているとか、そういうふうなメッセージが身にしみこんでしまっていると、自分は綺麗ではないとか、自信がないとかが心のベースになることが多い。仕事も本来ならばできるのに、できないと深層心理がおもってしまっていたり。成功するということも、自分はできないと深く信じ込んでいたりしています。痩せたいと思っているようで、実は痩せられないということを信じていたりもします。
瞑想は、こういうことを分析や批判をせず、また、特別な期待もなく、とにかくクリーニングしてくれる力を持っています。
毎日が新しい日だということは、頭では理解していても、大人になるとついつい今日は昨日と同じ、みたいに思ってしまうことに慣れてしまってきます。
「生きる」ということが本来は、とてもカラーフルでワクワクするものであることを忘れてしまっていませんか?
あるいは、無理矢理に、今日も元気に!と自分に応援し過ぎてはいませんか?
心を身体を静かにして、命の本来の力や流れと融合してくると、静かな情熱と積極性が、その人なりのペースとリズムで養われてきます。
瞑想は、ジムに行って身体を鍛えたり、自己啓発などで激しく心を揺さぶられたりするものではなく、大自然との繋がりでの自己変化です。
しなやかで、静かでありながら、揺るぎない、諦めない、軸のある生き方が自然と出来上がってくる底力が瞑想にはあります。
いつの時代でも、変化の時代です。これからも、どんどん変化が続きます。
そういう中で、揺るぎない生命力の輝く存在の為の訓練というのは、必要です。
その1つが瞑想であることは、間違いないと信じています。