ニール・アームストロングの死。一緒に月を歩いたバス・オルドリンとの出会い。そして、満月の瞑想。

ニール・アームストロングの死。一緒に月を歩いたバス・オルドリンとの出会い。そして、満月の瞑想。
月を歩くバズ。

アポロ11号で、人類初の月面着陸を達成したニール・アームストロングが亡くなったニュースが、数日前に入ってきた。

アームストロング氏と一緒に11号に乗り、人類2番目に月を歩いたユージン(バズ)・オルドリン氏と実は、夕食を一緒させてもらったことがあります。

クレステッドビュートというコロラドにあるスキー場で、友人宅でバズと彼の奥さんと、4人で夕飯をしました。

僕は、このスキー場でエクストリームスノーボードとスキーの全米大会にGショックのスポンサーをつけるために訪れていました。今から10年以上前でしょうか。

このスキー場は、セレブが集まる有名なアスペンとは、山を隔てたところにあります。スキー通には、アスペンなどよりも、好かれている穴場とも言える場所です。

僕は、バズ(彼はアメリカ人には、バズと呼ばれて親しまれている)が、そんな有名人だということは知らずに会いました。

宇宙飛行士というよりは、ハリウッドの昔の男優という感じ。奥様(その後離婚している)も、昔のハリウッドの女優という感じだった。

ある意味では、とてもチャーミングで、とても率直な性格。なんでも素直に話をしてくれた。まあ、そういう僕もかなりのストレートな話しかできないところがあるけれど。

「窓からの景色は、スターウォーズのように星が流れてくる感じですか?」

“いや、まったく違うなあ。基本的には真っ暗だ。あとは、窓の1つが明るかったりするだけ。至って退屈。ははは。”

「月に着いた時は、NASAでの訓練と同じでしたか?」

”それが、かなり違っていた。足で土を蹴ると、終わりのないくらいにずうっと飛んで行く。どこまでも飛んで行く感じだ。それは訓練ではなかった。”

「今度、月にまた行けたら、どうしたいですか?」

“いろいろ持ち帰ったけど、すべてが合衆国のものになって、何一つ自分のものにならなかった。次に行くときには、合衆国の旗じゃなく、自分の旗を立てたい。持ってきたものは、自分のものにしたい。”

ちょうど、宇宙を題材にしたSF小説を書いていて、その説明に熱が上がった。

「なにか、永遠に時差ぼけな感じがしますけど、、」なんと失礼なコメントを僕がしてしまった。

”なるほど、そうかもしれないなあ。良い事をいうなあ。”

それから、なんどかクリスマスカードの行き来もしたけれど、いつの間にか連絡は途絶えた。インターネットの始まる前の頃の話。

月に帰ってきた人と、食事をしたことは、僕の中では、一生忘れられないことになった。(その時は、あんまりピンとは来ていないけど)

アームストロング氏は、帰還後、あまり公衆の前に現れずに、かなりプライベートだったらしい。

一方の派手な性格なバズは、映画に出たり、離婚を重ねたり、いろいろ話題が耐えない。月面着陸は捏造だというバート・シブレル映画監督をインタビュー中にぶん殴ったりもした。自分が1番目ではなく、2番目だったことも心に引きずった。鬱病も繰り返しているらしい。

彼らが月面を歩いたのが、1969年だった。その頃には、きっと2012年くらいには、普通に月旅行ができるようになっていると多くの人が思っていたに相違ないけれど、ようやく火星に機械が到着したくらいの進歩だ。

僕は月に行かなくても良いけど、死ぬ前までに、地球を外から見てみたいと思う。

今月の31日(金)には、TaoZenのスタジオで『満月の瞑想』をする。これは心の中から、月を見つめるものだ。

年に何度か、この『満月の瞑想』を、行なっているけれど、1度やると、月と自分の関係が変わってしまう。

月が他人事ではなくなってくる。

月は素敵だ。今度、もしバズに会えたら、満月の瞑想を一緒にしたい。彼なら、きっと一緒にやってくれるだろう。

 

 

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