三千年目の親友 (2) 無一文の三人道中。

(続き)

ダニーは、大きなコンサートホールでも、本当に小さな公園でみかん箱のような舞台に立って歌うような時でも、本当に心を込めて歌うのです。

僕は、そこに修行僧のような尊いものを感じることが多かった。

クリスマスからお正月にかけては毎年のようにプエルトリコに僕は行く事が多かった。NYの11月の感謝祭から新年までの所謂ホリディーシーズンというのは、一人でいるととても落ち込みやすいシーズンだから、なるべく一人きっりにならないようにしていたのだと思う。

その年も僕はプエルトリコにいた。その新年には、恵まれない女性を世話している修道院の施設にダニーとネルソンで慰問に行く事になった。

ネルソンはトレスというキューバ特有のギターの名手。僕も同行。

 

50人くらいの施設で、皆本当に喜んでくれた。勿論、僕たち3人以外は、皆女性。

女性達の無邪気ともいえるうれし泣きが素晴らしかった。家庭内暴力や性的暴行などでどうにもならなくなってしまった女性たちのようだった。

ランチを用意したから、どうぞ、と言ってくれたのに、ダニーが断った。お腹が空いていたけどお断りして帰る事にした。

修道院長さんはダニーにお礼の封筒を渡そうとしていたが、これは勿論断った。

帰りの車の中、良かったねえ、でもお腹が空いたからどこかで食べようかと言う話になった。ところが三人とも財布なしで出てきていた。

「信じられないなあ、しっかりしてくれよ」とお互いの責任にしたのは良いけれど。「本当に全く無いの?」

「さっき行き高速料金に使ってしまった小銭だけが車にあったけど、それも使っちゃったからなあ。」

「だったら、さっきのお礼を貰っておけば良いのに」とネルソン。

「昼ご飯だけでも頂いてくると良かったのに」と食いしん坊の僕。

そうしているうちに高速の料金場が近づいて来た。

「あのうダニーだけど、お金の持ち合わせが無くってねえ」

「おお、ダニーか。任せておきな、俺がやっておくよ。それにしてもトールフィーもないのかい。」と笑って無料で通してくれた。

ネルソンが、ちょっとまてよ、実はシスターがロザリオをくれたんだよ、と言って小さな封筒をポケットから取り出した。

ロザリオと100ドル紙幣が入っていた。

「なんでそんなものを貰ってきたんだよ。」とダニーが怒る。

「だってロザリオだけだと思ったしねえ。断るのも失礼だろう。」喧嘩のようになってきた。

「おいおい、まあ、とにかく僕らには100ドルあるようなんだから、高速のインターンにあるレストランででも食事をしようよ」と僕が中に入る。こういう時には食いしん坊というのは良いものだ。

「それもそうだなあ。そうしよう。」ということで食事をして、次の高速料金場は正々堂々と支払って通った。

けっして美味しくはないファミレスのような簡単なレストランの食事も、なにか美味しく感じた。

それでも、ダニーは「まったくお金を貰って来るなんて」とグタグタ言っていて、ネルソンが、「じゃあ返しに行ってこようか」と子供の喧嘩のような会話をしていた。

これも僕には美味しかった。

 

(まだまだ続くストーリです。そして実はもっともっと長いストーリーも書いてはいるけれど、一旦ここで終わらせてもらいます。

また、続きはいつかまとめてみます。)

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