Bunkamuraでレンピッカ展を観て、ヤン・リー・ピンのシャングリアを観た。

Bunkanuraに始めて行った。ここができたのでは、1989年。僕が日本を出たので、1979年だから、名前は知っていたけど、行く機会がなかった。なんとなく予想していた雰囲気と違っていた。もっと小さくて、エンターテイメント的ではなく、アーティスティックなところかなあって思っていた。文化村っていう語感から、もっと主張のある空間かなあと期待していた。もっと時間が立つと味がでてくるような空間を期待していた。ちょっと残念。

ここのオーチャードホールで、中国の舞踊家のヤン・リー・ピンを観た。ヤンの踊りは凄みがあったけど、ショウ全体は、どうも僕にはどこかピンとこないところがあった。中国の少数民族のことを一年かけてリサーチしての作品らしいけれど、少数民族への愛とかはあんまり感じなかった。それにあまりにも分かりやすい具象性のあるダンスにちょっと残念かな。僕はダンスが大好きだけど、どうも抽象性のある、詩的なものが好きなようです。

このショウの前に、文化村の中のギャラリーで、タマラ・ド・レンピッカ展をみた。彼女の初期の作品には、特になにかとても艶なものを感じた。ちょっと狂気が含まれている、ちょっと挑戦的な美が素敵だ。一点くらいなら、ぜひTaoZenのスタジオに飾りたいかなあなんて。ジャック・ニコルソンが所有の絵が数点あったから、そんなアホなことまで考えた。でも、どんな素敵な絵でも、家には欲しくないものもあるからなあ。こういうことを考えるは、やはり暢気だよねえ。

まあ、こういうことって人の好きずきがあると思います。僕は、どうもすこしヘソ曲りなのか、好みが結構はっきりしている傾向がありみたい。それに、どうも批判的に観る癖もあるようです。なんでも素敵だというように観る方法はあるのかなあ。なんて思うけど、映画でも、芝居でも、アートでも、小説でも、料理でも、どうも批判的にみるのが僕の癖のようだ。昔、演出をしていたのが関係あるのかなあ。

瞑想や、チネイザンでは、なるべく自分も相手も批判をしないように!なんて言っているのにねえ。

そうだ!深くて鋭い批判力と洞察力は、それはそれで持っていて、同時になんでも認める力も持つというところがいいのかも。(今朝の瞑想の中で気が着いた。)

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