文学座の思い出。戊井市郎先生が93歳、役者で文学座の「我が町」に出演という記事。
オンラインの朝日新聞とNYタイムスは毎日チェックします。
昨日の朝日だったか、戌井市郎93歳、役者で「我が町」に出演、よいう記事が出ていた。
へえ、93歳だったんだ。「我が町」かあ。他の先生や、皆はどうしてるんだろうなあ。ってかなり懐かしくなった。
僕は、大学4年の時から演劇研究所の演出部員として文学座に入った。それから3年間籍があった。同期には、役者としては内藤剛志とか平淑恵とかいた。演出部は西川さんと二人だけ。その上はなんか5期上くらい誰もいなかったと記憶している。そのころの友人は、ほとんどバラバラで、数人しかコンタクトがない。でも、最近になってとても懐かしく思うことがある。瞑想も、太極拳も、少林寺拳法も、野口体操も、玄米食もそのころにやっていたことだ。僕が、今TaoZenでやっていることの結構基本になるようなことがこの頃に沢山あるということに気がついた。
戊井先生とは、研究所の「女の一生」で助演をさせていただいた。僕は、戊井先生の隣に座って見ているわけだけど、眠くって良く寝ていた。戊井先生もそうだったけどねえ。
「つまらんかね?そこに座っているのは。」
「はあ、まあ、そうですね。」
「じゃあ、明日から役をやれ!」
ということで、なんかとても良い役を頂いてしまった。僕は演出部なので芝居の訓練はするものの役者はしないはずだった。50人くらいいる役者志望と演出部がたった一人だった。ということで、なんか皆にはなんか変な目で見られながらも役者もやらしてもらった。
大工が羊羹を食うという役だった。いろいろやったのになぜか、これははっきりと覚えている。この役のために、髪を五分刈りにもした。下町にも通ってみた。卒業公演だったと思う。
本当は、映画を作りたくって東宝にも受けたのに、その頃はどうも映画の制作はなくって役者のほうに向けられて、それはやめて文学座にしていた。芝居や映画が好きだったけど、結局僕は、身体と心の関係ということにもっと興味を注がれていった。
あの頃の友人たちと会いたいなあって、思った。どうしてるんだろう、あいつらは。素敵な男も女もいっぱいいたような気がする。
戊井先生が93歳で現役!と聞いて、ちょっと嬉しかった。あの頃でもお年を召していたのになあ。「我が町」も研究所でやった。ニューヨークでOur Townを今やっているようなので見に行ってみようかなあと思っていた所だった。ニューハンプシャーの小さな町を舞台にした良い作品であることは確かだ。でも、その頃はなんか良くわからなかった。その時も助演では眠いので小さな役を頂いた。悪ガキの役だった。
杉村春子さんや、太池喜和子さんがいらしたころのことだ。文学座ってなんだろうってウキペディアで調べてみた。へええ、1937年にできてたんだ。松田優作や、桃井かおりとかも研究所にいたんだ。三島由紀夫も中村伸男も座員だったんだ。などと今になって分かって驚いた。中村伸男さんのことなどの思い出は、別の時に書こうか。でも、なんか思い出を書くのはねえ。でも思い出も書いてみようっと。
そのころ、糸川英夫先生の組織工学研究所で昼はバイトをしていた。お金にならないことをするのは、昔からだったんだなあ。
一つの小さな記事が、いっぱいの思い出をNYにいる僕に運んできた。
戊井先生は、僕のことを覚えていらっしゃらないと思うけど、僕は隣でコックリコックリも楽しかったのですよ。100歳までは、現役で頑張ってください。