世界のタオのマスター、謝明徳老師との出会い。

9月22日、23日と世界で最も有名なタオの先生とも言うべきマンタック・チア(謝明徳老師)が東京でワークショップを行ないます。詳しくはTaoZenのホームページをご覧ください。

そのマスター・チアと出会った時のことを思い出します。

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マスター・チア(謝明徳 老師)と出会ったのは、僕がまだニューヨークに住み始めてから1年も経たないときだった。

その頃の僕は、ニューヨークの新しい生活と新しい仕事(新聞のレポーターと広告代理店の仕事を掛け持ち)をしながらも、必ず1時間の瞑想を朝、短い瞑想と太極拳を夜、欠かさなかった。

瞑想は、それまでの素晴らしい先生たちのおかげと、その時のアメリカ人のワイフも日本の禅やチベット仏教に長けていたので、得に師がいるとは感じていなかった。

太極拳は、すでにインストラクターの免状は持っていたものの、どうもまだ1つピンと来ていなかった。

日本では、今は亡くなった楊名時先生にビッチリついて学んだり、アメリカでもエサレンで会ったアル・ワンにもついても学んでいた。

それでも、先生が必要だという実感が強かった。

ニューヨークでいろいろな太極拳の先生のところに出かけた。

武術的なヘビーな道場から、ヒッピー的な先生まで、いろいろ行ってみたけれど、どれも今1つ僕には”これだ!”という感じがなかった。

楊先生やアルのような抜けるような明るさのようなものが感じられなかった。心と身体が一体になっている心地の良さだ。

もともと3日坊主の僕には、続けるためには、これだ!というなにかがないと続かないのが分かっていた。

ある時に、中華街にかなり変わったタオの先生がいて、太極拳や伝統的な瞑想や、なにやら房中術も教えているらしいという話を友人のジョージから聞いた。

ジョージは、ボストンの有名な大手出版社のオーナーが親なのに、長い間京都に住み大学の教授もしていたインテリ。密教のことインド哲学などのことも僕とは比較ならない程の知識を持っていた。今で言うかなりのNerd(お宅)だった。

僕はジョージの情報は信じていたので、早速、そのタオの先生に会いに行ってみた。その人がマンタック・チアだ。

中華街の端にあるコンフーシャス(儒教)ビルというちょっと怖い名前の大きな建物の中にある小さな医院の中にある待合室みたいな一室だった。

タオの老師というよりは、中古車のセールスマンという印象だった。それが僕には好感がもてた。じつは始めてダライ・ラマとお目にかかった時は、少人数だったのだけれど、ああ、この人はお饅頭屋さんの主人という感じでいいなあと思ったりしていた。

太極拳を習う前に、小周天とヒーリングサウンズを学ぶ必要があると言われた。毎週火曜だったか、1時間半くらいのクラスで6週間コースだった。

始めの日には、生徒が4人くらい。2週目には2人、三週目には僕1人になっていた。そうすると、じゃあ、今夜全部教えてしまおうとプライベートセッションになってしまうのです。

こんなことが何度か続きました。

その頃の彼の英語は、かなりアクセントも強くて大変に分かりにくかった。もっとも僕の英語もかなり怪しいわけで、今振り返ってみると、それだからこそ、通じたところもあると思います。アイロン・シャツという気功があるのだが、これがアイロン・チャーチにしか聞こえなくって、しばらくは僕はアイロン・チャーチという名称の気功だと思っていた。その頃はテキストも本もなかったので、本が出て来たビックリ。アイロン・シャツ(鉄のシャツ)だった。まあそれでも変な名称だけど。

そういう彼がどうやってどんどん英語の本を出版したかは、摩訶不思議。素晴らしいエネルギー力だと思う。

マスター・チアの家にいくと、リビングルーム一杯に原稿が広がっていて足の踏み場もなかった時もあった。

今から30年以上も前の話だ。

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久しぶりに書いたら、長くなってしまいました。ここまで読んでくれた人、本当に有り難う。

もう少し、マスターチアのことを書こうかと思っています。僕にとっては、師であり、良きそして悪友でもあるから。

33年経っても、こんな感じ。
左がマスター・チア。

 

 

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