キング牧師の「I have a dream」から50年。僕たちの心の中に人種問題があると思う。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが、ワシントンDCのリンカーン記念館の階段の上で行なった名演説から、50年たったというニュースが流れた。

1963年8月23日だった。

人種平等と差別の終焉を訴えた心をとらえる力強い演説だ。

その経験を同世代で直接経験したわけではないけれど、なんどもこの演説と、25万人と言われている群衆の興奮の映像は何度も見たことがある。

NHKニュースでは、アメリカでは50年経った今でも完全には人種問題がなくなったわけではないと、いろいろな具体的な例をあげていた。

アメリカという言葉を何度も使っていた。あたかもそれは自分たちには関係ないという響きがあった。

人種問題は、アメリカの問題ではない。世界中どこにもある問題だ。

僕たち一人一人の心の中にある問題だ。

僕が日本に戻って来てから、強く感じるのは日本には毎日日常的には人種の問題を感じるような状況にはないけれど、この国は大変な人種偏見を内在的に持っているということだ。

それは日本という特殊性ではなく、日本に普通にいると気がつきにくいということだと思う。

 

人種偏見は、人種だけの問題ではなく、どんな人にたいしても偏見は偏見であり差別だと思う。

僕自身、差別もされてきた経験も人種差別もされたことも多くあるし、人種差別には大反対だ。

でも、そういう僕の中にも、差別があることに日常的に気がつくことが多い。

女性は、今の子供は、あの人は、この人は、あの国の人は、あの職業の人は、と考えたり、話したりしている時に、それが単に区別や分析であるのなら良いのだけれど、そこに偏見やちょっとした差別の匂いがあることを自分で認識することがある。

それが人種問題の、差別問題の種だ。それを嫌うのはなく、ないことにするのではなく、冷静に感じて見て、その上で考えていきたい。

 

キング牧師がこの演説の中で「 I have a dream.」と何度も言うのだけれど、その言葉には大変な力がある。

それは彼がその夢に本当に情熱を持っていたからだ。

そして、その夢が彼だけの大きな夢であるだけではなく、多くの人の大きな夢だからだ。

今の僕らにも、そういう大きな夢を確認し、持ち続ける必要があると最近強く感じている。

久しぶりに見たI have a dreamの演説。たった17分なのに世界を歴史を動かす力と心がある。

 

僕が愕然として自分に問いかけた。

What is really my dream?