ビートルズをNYに連れて来た伝説の人、シド・バーンスタイン。僕は貴方が大好きでした。有り難う。
- 2013.09.06
- その他
ビートルズをニューヨークに連れてきた伝説の人、シド・バーンスタイン。僕はあなたが大好きでした。有り難う。
シドが亡くなった!
その記事のタイトルを8月21日のニューヨークタイムスで見てから、
なんどかその記事を読もう、そしてシド家に電話をしよう、シドへのお別れの言葉を書こう。と何度か思った。
けれど記事さえ読む気になれなかった。
僕は後悔している。
幾度かニューヨークにいる時に、そうそうシドに電話をして遊びにいかなくてはと思ったのに、忙しいのにかまけて電話もしなかった。電話をしたらそれは会いたいし、
「Oh, my friend Masahiro! When can I see you? Do you have a family?」
といつもの明るい声、そして時折言葉の合間に大きなため息のような間合いがある独特の彼の会話が聞けるはずだ。
そして、僕が今回は日にちが少ないから次回に寄るよとかいうと、残念そうに自分の家族こことを一生懸命説明するに相違なかった。僕が会ったことのない孫のことも、そして実現できないような音楽のイベントの夢を話すんだ。
「Masahiro. This time, it is Big. You have to be a part of this.」
今夜、ようやくタイムスの記事を読む心の余裕ができた。
会いたかった。すくなくてももう一度。
僕にしては珍しく(?)とても後悔していて、数週間このことを考えたくもなかった。
なにが大切かを時々、日常の忙しさや雑事から離れて考えてみることが必要だ。
会っておきたい人、伝えておきたいこと、そういうことを置き去りにしていた感じがする。まあ、僕はこういうことをかなり考えるほうなのに、しかも会社に勤めているわけでもなくかなり自由なのに、それでも日常に埋没している。日常の事と、それ以上のことを、どう上手くバランスを取って行くのか、いつでも大きなテーマだ。
シドについては書きたいことが沢山ある。
まだアメリカでは殆ど知られていなかったビートルズを連れて来た張本人だ。
1964年カーネギーホールで、そして翌年にはシェア・スタジアムでの歴史的なコンサートを行なったのが彼だ。まだ、音楽のプロモーターという言葉が一般化していなかった頃だ。
ローリング・ストーンズや、ハーマンズ・ハーミッツ、ディブ・クラーク・ファイブ、ザ・フーなどのBritish Invasionを起こした伝説的なプロモーター。
シドから何度も聞いた内輪話と、彼との愉快なエピソードは、近いうちに僕なりに書きたいと思う。
僕がシドと始めて会ったのは、今はファッショナブルなブティックホテルになっているけど、その当時はかなり怪しげなダウンタウンのホテルの一室だった。
当時僕はユダヤ系アメリカ人2人と一緒に会社を始めて独立したばかりだった。
その昔スタジオ55のネオン証明のデザインをしたアランと音楽のプロモーションをしていたスティーブと僕、そして1人の金髪の可愛い秘書という4人の会社だ。不思議な組み合わせの4人だったが、いろんな仕事をした。
アランは根っからのブルックリン子でいろんな風変わりなニューヨーカーのネットワークが広かった。彼の友人でグレートフルデッドのTシャツを始めて作った(それがロックバンドがTシャツを売るということをした最初と言われている)これは風変わりの典型みたいな夫婦の事務所(とは言ってもホテルの一室だった)に8人くらい集まっていた。なにか新しいコンセプトの音楽をテーマにしたクラブかレストランをブローウエイでやろうという話だったと思う。
そこにシドが来ていた。ビートルズのプロモーターとして僕も名前は聞いていたけど、なんとも笑顔の素晴らしい大きなお腹がチャーミングなお爺ちゃんだった(その頃でも僕にはお爺ちゃんに見えた)とは知らなかった。
僕は、一時日本のビートルズ・シネクラブという世界でも最も大きなファンクラブの会長をしていたことがあった。そんな話で持ち上がった。
そしてその日は僕の誕生日だった。
シドが良い誕生日のお祝いがあるよ、と言ってポケットから一枚のチケットを出した。
シェア・スタジアムのビートルズのチケット。しかも使われていなチケットだ。
黄色い印刷のあんまり良くないチケットだ。 4ドル50セントと書いてある。
ポケットに雑に入っていたのでちょっと端が折れていた。
僕は「そんな大切なものは貰えないよ。それに大体あのコンサートは完全に売り切れというはずだよ。」
「私も完全に売り切れだと思っていたんだ。でも、この間引っ越しの時に、一箱出て来たんだよ。百枚くらい。ということはあるセクションは売れてなかったと言うことだけど、それまで気がつかなったんだ。なにしろ6万人くらい入った球場だから」
「ぜひ貰ってほしい。価値が分かる人に誕生日ギフトだ。」
僕は結局その日はお断りをして、次回彼の家にお邪魔して、ポスターなども見せてもらいながら改めて頂くことにした。この方が図々しいとも言えるなあ。傷のついていないチケットを頂いたし。
とにかく、それからシドとは長い付き合いになった。
彼の家のパーティに呼ばれたり、僕のスタジオにふと寄ってくれたり、僕の誕生日パーティにも来てくれたし、彼の息子を僕がパートで雇ったり、、、。
彼が家賃が払えないというので、その言われのあるチケットをまとめて僕が購入してポスターと一緒に売ろうとしたり、、、。
シドと会うと、とにかく心が暖かくなる。
それがどうしてなのか、もう少し考えてみたい。
とにかく、シドがもう95歳だったとは。
そうだなあ、数年話もしていなかったなあ。
誕生日も八月だったんじゃないかなあ。
こうして書いているといっぱいの思い出やエピソードが湧き出て来る。
今夜は、瞑想の後にお祈りをしよう。
もう一度は会いたかった。
Dearest Sid,
なによりも貴方とお目にかかれて僕は本当に幸せです。
形にならない貴重な何かを貴方から頂きました。
それが何だったか、もう少し考えます。