チュニジアでの不安と緊張。そして、チェニジアの夜。
- 2013.10.21
- その他
北アフリカのチュニジアの首都チュニスに来た。
友人でTaoZenの仲間でもあるフランス人夫婦と僕の3人でサハラ砂漠を歩く旅ののために。
僕だけ先に数日早くチュニジアに来た。
テュニスにあるの世界遺産にもなっているメディナ(城壁に囲まれた旧市街)の中にある古い邸宅をホテルにした宿に泊まった。
Dar El Medinaというホテルだ。ダルというのは邸宅という意味らしい。
狭い道が迷路のようになっているので、タクシーは通れない。
カスバという広場までタクシーで来たら迎えに行くと言われた。
強い日差しの中、いろんな人が行き交うけれども、なかなかホテルの人らしい人が現れない。
まあ、飛行場でも街でも東洋人を1人も見ないし、アメリカ人だってみないから、きっと向うから声をかけてくれるだろうとは思って待ってはいるけれど。
北アフリカに来たのは、僕は始めて。
北アフリカの回教国をマグレブというけれど、最近はいろいろな政治的な問題が多くて環境客が極端に少ないようだ。
パリからの飛行機にも現地の人が多い。飛行場も街もカオスな感じ。
テレビや映画の影響だけれど、なにか映画アルゴのような不安と緊張感が心の中でざわめくのは大げさなのかとは思うけれど。
僕は普段あんまり不安になったりしないのに、今回の旅はちょっと不安感と緊張感がある。
政治的に不安定な感じがするマグレブの国で、しかもフランス語は通じるけれど、英語があんまり通じない。僕はフランス語は全く駄目。
次にサハラ砂漠って携帯も通じないらしいということ。なにかあったらどうするんだろうと思うこと。こういうことが理由だとは思うけれど、心がざわめくのに気がついた。
こういう不安感や緊張感を味わうことも良いと思った。
世界には、いつも不安を持って生きている人たちも沢山いうわけだ。
理由が充分にあろうがなかろうが、不安というものは不安なわけだ。
緊張というものもそうだ。
僕にとって旅をするということは、観光でも、ショッピングでも、美味しいものを見つけることでもなく、僕にとっては、自分を見直す事、自分の枠を越えるためのもの、新しい人間と交会うこと、普段当たり前だと思っていることを見直すこと、そしてそういう中でなにが本当に大切かを試行錯誤することにある。
ようやくホテルの人が1人やってきて、荷物を運んで案内してくれた。
17室くらいあるこの宿は、流石に古い邸宅だっただけあって、雰囲気素晴らしい。
泊まり客は、僕とあと2組しかいない。
ロビーには男が1人、ほかに部屋を片付けたり食事をつくる女性が1人しかいない。
メディナを隅々まで歩いてみた。ここのメディナはアフリカでは一番古いものの1つ。
幅が1メートルくらいしかない狭い道が迷路のように入り組んでいる。
現地の人、多少の観光客で賑わっている。
日本人だと思うとなぜか、「オオサカ、ナゴヤ。トモダチ」と男達が叫ぶ。
でも得に怖いわけでも押し売りされている感じもない。
それにしても、なぜ大阪、名古屋なんだろう。
それに知らない男に友達と言われたら、誰だって気持ち悪いと思うんだけどねえ。
店はいろいろあって楽しいけれど、イスタンブールのマーケットも同じだったけど、得に買うものは無いのが残念。
こっちはショッピングモードになっているのに、本当に欲しいと思わせてくれるものが少ない。
値段交渉だって、こっちはちょっと楽しいかもと思っているのに、買いたいものが見つからない。
チェニジアは、北アフリカの中では開かれた政策であり、チュニスは流石に都会なので女性も結構街に出ているし、
目だけをだして全身をかくすようなチャドルやニカーブはあんまり見受けなかった。ビシャブと呼ばれるスカーフで頭は覆っている女性が多いけれど。
眼がとても印象的な女性が多い。
どこの国に行っても、素敵な女性が沢山いると思うのは、僕が男だからだろうか?
1日に何度か近くのモスクからコーランのようなお祈りだと思うけれど、凄い音量で流れる。
音量の凄さと音質の悪さが、街に響いてなかなか趣がある。こういう風に思うのは失礼なのかもしれない。
モスクの中には、残念ながら回教徒しか入れなかった。
夜は日没とともに、すっかり静かになって、夜のメディナはシーンとしていた。
「チェニジアの夜」という有名なジャズのスタンダードがあるけれど、これを作曲したデジーガレスピーは、違うようなチェニジアの夜をイメージしていたのだろう。あるいは、その頃は違っていたのかもしれない。僕の大好きなサラ・ボーンやエラ・フィッツジェラルドも、マイルス・デービスも演奏している。
http://www.youtube.com/watch?v=xncznvkB7S8 キューバでの演奏シーンらしい。