ガルシアマルケスの「百年の孤独」は、僕にとっては大好きな決して終わらない小説だ。

ガルシアマルケスの「百年の孤独」は、僕にとっては大好きな決して終わらない小説だ。

ガブリエル・ガルシアマルケスが17日に亡くなった。

丁度、数日前に彼の話をしていた。

「百年の孤独」は、もう高校の時から少なくても7回も読み直して、そしてその度に読破できずにいる本。

長編ではあるけれど、そんなに特別に長い本ではないけれど、僕はどうしても読み終えずに満足してしまっている本。

 

読み終えたことがないのに、僕の中で好きな小説の中のベスト5に入る本だ

僕のヒーローの1人。 ガルシア・マルケスが亡くなった。
僕のヒーローの1人。
ガルシア・マルケスが亡くなった。

ガルシアメルケスの短編は、いくつか読んでいる。僕が読んだどの短編も好きだ。

醸し出す雰囲気と、読んでいると僕の中で作られるイメージが、たまらなく良い。

マジック・リアリズムというもので、現実と幻想を交錯させる手法らしい。

僕には、とくに現実と幻想という具合には思えない。

ごく普通に感じていることを、上手く表現してくれているなあとしか思えない。

それが、僕には実に奇妙に心地がいい。

 

「エレンディラ」という短編が映画にもなっているけれど、映画をみるよりも、短編を読んだ時のほうのイメージがもっともっとカラーフルで不思議だったことを覚えている。

 

マジック・リアリズムというのは、瞑想の後に残る余韻や、ドリームプラクティスで残るイメージと繋がるものもあると感じる。

どうも向う側とこっち側の繋がりを、素晴らしく語ってくれているのかもしれない。

向うとかこっちというのは、死と生とか、昔と今とか、夢と現実とか、男と女とか、そういうふうな対立するものとしてあるのではなく同時に存在するもの、

お互いがあってこそ存在するものというイメージです。

絵も芝居も音楽も、そういう感じを僕が受けるものが好きだと、今日改めて自覚した。

 

ガルシアマルケスは、きっと向う側に行ったのかもしれないけれど、

彼の世界観や美学は、多くの人の心の中では鮮明に生きているだけではなく、育っていっているのだろうと思う。

 

「百年の孤独」を最後にチャレンジしたのは、20年くらい前になってしまった。英語で始めてチャレンジした。

日本語よりも読みやすい感じがした。きっとスペイン語だったら、もっと面白んだろうなあ。

短編小説がいろんな形で踊っていながら成り立っている長編だと、僕は思っている。

そして、僕の場合は、この本を読みおえない方が良いと勝手に思い込んでいる。

 

また、読み始めて、途中で止める時がきたのかもしれないと感じた。

 

 

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