怖くって、安堵感のある原初体験。お盆に想う。
- 2014.08.17
- その他
お盆というのは、どうも江戸時代にできた風習のようだ。
盂蘭盆(ウランバナというサンスクリット語)と、道教の中元などと混じって出来た日本特有な夏の風物詩、あるいは宗教的な習慣といえそうだ。
先祖の霊を祀るということは、我々の心に、そして社会に大切なことだと思う。なぜ、大切だと思うかは、いつか詳しく説明したい。
このお盆の間に先祖の霊が我々の所に降りて来て、一緒に過ごす、一緒に踊る、一緒に食べるという風習は、僕にとってはかなり強い幼児体験にもなっている。
小学校の夏にお世話になった秋田の田舎の山寺では、お盆では山にある沢山の無縁墓を村の人と一緒に草刈りをして綺麗にする、そしてお盆の間は、お線香と花を供えた。 古い無縁墓というものに、なにか強い繫がりを感じたことを覚えている。
新しい立派なお墓よりも、なにかを感じていた。
山全体がお墓になって、その中にあるお寺は、数多くある墓に、そして先祖の霊に守られていると感じた。
野外にあった五右衛門風呂に夜1人ではいっていると、少し怖いけれど、特にその感じが圧倒的で、怖いけれど不思議な安堵感もあった。
秋田の盆の祭りは、有名な西馬音内の盆踊りも、竿燈祭りも、どこか寂しいものがある。
暗闇と提灯の光、そして笛の音。 家の前で炊く迎え火も送り火も、 子供にとっては、なにか妖怪でもでてくるような薄気味悪いでも、なにか魅かれるものがあるのを覚えている。
怖くって、不思議な安堵感があるというこういう原初体験というのは、今の都会の子供たちにもあるのだろうか?
ぜひ、あって欲しい。
この「怖い」という感じは、じつはとても重要なものを含んでいるような気がするからだ。