Mr. Koとの出会い。そして絵画のような写真との出会い。

Mr. Koとの出会い。そして絵画のような写真との出会い。

si chi ko

Mr.Si Chi Koと出会ったのは、ニューヨーク。

80年代半ばだった。

海外に一人で住むと、最初は何でも新しくって大変だけど、充実した日々が続く。

ところが、7年くらい経つと、慣れてくるのだけれど、言葉もできるような感じだけれど、心の底に流れていたストレスが溜まってくる。

それがあるときに急に火山のように爆発してきたりする。

僕は、それに離婚やら、失恋やら、そして友人の裏切りやら、仕事のことやらで、精神的にも経済的にも、滞在7年目くらいに大変に厳しい状態になった。

不眠症やら、無気力やら、いろんな状況が出てきた。

 

その頃に僕を救ったのは、素晴らしい出会い瞑想だった。

その頃にいくつもの大切な出会いがあったし、自分の中での発見があった。

(と、今、振り返るとわかるけれど)

Koさんとの出会いも、その素晴らしい出会いの一つだった。

 

コーさんは、台湾で日本語教育を受け、東京写真学校の第1期生。

篠山紀信などと同級らしい。

その後台湾に戻り、広告やアートフォトで活躍。

その成功を全て捨ててニューヨークに単独移動。

ローリングストーンなどの音楽やファッションなどの写真を撮りながら、広告写真やアートファトで自分でスタジオを持つようになり活躍されていた。

ところがもっと自分が撮りたいものを探していきたいというので、スタジオを閉じて世界旅行に出た。その時の作品が、本当に素晴らしい。

決して派手ではないのだけれど、心を打つ作品がたくさんある。(きっとスライドで、その中の幾つかの作品は見せてくれるに相違ない。)

 

その長い旅からニューヨークに帰ってきた頃に出会った。

初めて会った瞬間から、何か僕の深いところで響いたようだった。

とにかく暖かい。明るい。人を分け隔てなく誰とでも同じように対応するのも素晴らしい。

それはニューヨークの競争の激しい冷たい社会では、本当にホッとする、ありがたい存在だった。

僕の小さなプロジェクトにも、文句を言わずにお付き合いしてくれた。

大変に大きなプロジェクトでも、僕との小さな仕事にもならないようなことでも、同じように熱を入れてやっている姿も素晴らしいと感じた。

僕とはふた回り(24歳)違うのに、友人のようにして扱ってくれた。

 

彼の作品との出会いもある。

いくつかあるけれど、僕が大好きな作品がいくつもあるけれど、その中から一つ。

その作品は、ギリシャの島からの眺め。僕は勝手にミカノス島と思っているけれど、

画面の右3分の一くらいは白い壁。あとは青い空と青い海。

よーく見ると遠くに他の島がうっすらと見える。

 

それは一見みると絵画のようだ

これを見た人が、ほとんど絵画だと思う。

それは画面のバランスがそうさせるのか、

色合いがそうさせるのか、

印刷のクオリティがそうさせるのか、

なぜ、そうなんだろうといろいろ考えてみた。

 

僕なりの結論。

大抵の写真はアーティストが何を移そうかという意図が比較的わかりやすいことが多いと思う。

ペインティングよりは一般的にそうだ。

ある一瞬を撮るからか、被写体がはっきりとしている。

ところが、この作品はギリシャの島の景色なんだろうけれど、それを撮っているのではない。

色合いとか構図とかで表現しているだけでもない。

具象的だけれど、抽象的なものもある。

時間をかけて塗ったような静けさと複雑さがそこにはある。

この作品はニューヨークの近代美術館にも収められているそうだ。

幸運にも僕も一枚持っていて、ずうっと飾っている。

決して飽きない作品だ。

 

優しくて深い空間が、そして空気がそこにはある。

Koさんの人柄がここには出ている。人を楽しませようとかいう安易な意図は感じられない。

アーティストで作品と性格が似つかない人もいるけれど、コーさんの場合は

彼の人柄がすっきり自然に出ている。

9月2日のKoさんのプレゼンテーションの時には、TaoZenスタジオにも僕の宝の一つのこの作品を持って行こうと思う。

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