チネイザンとの出会い(その2)のはずが、不思議なデジタルのいたずらを味わう夜に。
- 2016.12.01
- その他
僕にとってのチネイザンは、最初のうちは、誰かに施術をするということよりは、いろんな人から受けるというものでした。
チネイザンの第1期ですから、何を基準にすると良いかもわからずに試行錯誤だったわけです。
その頃の僕には、チネイザンを習得しようとか、これを仕事にしようという気持ちが全くなかったので、自分が練習をするということではなく、お腹をかして、フィードバックをするということが僕の役目。
様々なマッサージや鍼などを受けるのが大好きなこともあり、いろんな人のチネイザンを受けているうちに上手な人はなぜそうなのか、今一つの人は何が不足なのか、どうすると良いのかなどがわかってくる。それが面白かったし、無料で施術も受けられたのが嬉しかった。
その中で、名人とも言えるタッチの人が数人いた。
サンフランシスコのチネイザン協会の代表をしているジル・マリンもその一人だ。
親しい友人でもあり、当時は毎月息子に会いにニューヨークに来ていて、僕のアパートに数日は泊まり込んでいた。そのたびに彼のチネイザンを受けた。
僕がプエルトリコやキューバを舞台にしたドキュメンタリーフィルムを作っていた時には、彼は運転者及びシェフ、そしてみんなをチネイザンでケアする役として参加してくれたこともあった。
こうして書いていると、どんどん思い出がビビッドに出てくるものだなあ。
と思ったら、なんと30年以上前の親友で、それからあっていない人からフェイスブックで呼びかけがあった。
と思ったら、どんどん僕が今まで受けていなかったメッセージが15件くらい飛び込んで来たぁ。全て3年以上前のもの。どうしてこうなるんだろう。
こういうのは、デジタル時代のデジャブかなあ。
折角なので、数年迷ったメーッセージに返事を書いた。そしたら結構返事が来たり。
話が傍にそれてしまったけれど、不思議な時を味わった夜になった。