アジアも大分慣れてきたなあ。チェンマイもウブドも心が洗われる街だ。
最近はアジアで時間を過ごす事が多くなってきた。
数年前までは、僕はどうもアジアに来ると落ち着かなかった。なにか人がはっきりしない感じがどうも落ち着かなかった。
ニコニコはしてくれるんだけど、どうもはっきりしない。いったい騙されているのか、なにを考えているのか分かりにくかった。
それとなんとも言えない植民地的な感じの匂いが嫌だった。アジアにいる西洋人は、どうもNYでみる西洋人とは違うような感じを受ける。
それと街から流れるあの、時代遅れのアメリカの音楽がとても嫌だった。
でも今回のバリ島とチェンマイの旅でアジアへの印象が確実に変わった。
日本に長くいるようになったことも関係あるようだ。アメリカが長過ぎたようで、日本人もはっきりしない感じで不思議だった。でも今では、慣れてきた。もしかしたら東南アジアの特徴なのかもしれない。少なくても仏教国の特徴かもしれない。調和というか、そういうものをいつでも考えているところがある。これがインドや中国になるとちょっと違ってくるようだ。
いずれにしろ、アジアの良さというものが感じられるようになってきた。
奥ゆかしさというか、柔らかいというか、これもなかなか良いものだなあとつくづく感じるようになった。
チェンマイもウブドも、そういう奥ゆかしさが感じられる良い街だ。それになにしろいたるところに祈りが生きている街だ。
今夜はチエンマイでは、日曜バサールだった。沢山のひとがぞろぞろ歩くだけのところもある。値切っても値切らなくてもいいのも、なかなか楽しい。現地の人と一緒に買い物にいっても、必ずしも値切るわけでもない。
ここには、お金や地位では測れない幸せの匂いがまだ、はっきりとあるのが有難い。
旅にくると本当に「生きる」ことについて沢山感じさせられることと出会う。
今日も心を動かされた出会いがあった。まったく学校にいかずに大人になっても、心が美しいということが実際に人相にもでるんだなあって、そしてちょっと貧しいのは良いけど、極貧というのは本当に心が痛むということをつくづく感じた。
貧困の中から育った、美しい心は、本当に涙なしでは向き合えない。そこで僕ができる事は、心で抱く事だと実感させられる。