ワークショップとリトリート。なぜ、必要か?

ワークショップとリトリートの違いは?なぜ必要か?

何人から、質問をいただきましたので答えてみようと思います。
いろいろ質問していただくと、僕も考えるきっかけにもなるし、気がつくことが沢山あります。有難うございます。

毎日15分。(少なくとも)瞑想、呼吸法、気功、太極拳、などを通して心と精神をきれいにして自分の中を見つめなおす。それを気軽に楽しく行っていくことによって、出来るだけ健康に有意義に命を十分に生きていく。これを出来るだけ多くの人とシェアすながら進んでいく。そういうことが、僕の今のTaoZenの願いです。

クラスとかセミナーとかと呼ばずにワークショップとあえて呼んでいるのは、実際に体験する場所、体験して実感して変化(transform)して欲しいという願いがあるからです。
2-3時間の短いワークショップでも、少しでもそういうことがあるように気を使っているつもりです。
単に情報や知識や技術を得るものではないと強く思っています。
2日間のワークショップでは、実際にそういうトランスフォーメーションが起きていると思います。僕自身にも、必ずトランスフォーメーションが毎回起きます。僕はもともとセールスマン的なところがなく、しかも話が上手なほうではありません。でもこのトランスフォーメーションということが、自己発見と変化ということがとても重要だという確信があって不器用でもやってきています。

それでワークショップで得た体験、実感というものを、個々の実生活の中で育てて行っていただきたいと願っています。

同じワークショップを何度も受けられることをお勧めします。
僕も同じテーマのワークショップを何十回も受けました。同じ先生からも、違う先生からも。
そうすることによって、プラクティスの味わい色合いが深くなってきます。理解も深くなります。
大切なものは、何度やっても飽きることなく、ますます深みが出てきます。大切な人もそうですし、優れた音楽やアートもそうです。太陽や月などの自然もそうです。そして何よりも僕ら個々がそうでなくては。いつも新しい気持ちで、立ち会えるというのは、幸せの一歩です。

リトリートというのは、普段の生活から離れて集中的にプラクティスすることです。合宿とか集中セミナーとかいうとなんか、どうも違うなあとおもってUSで使っている言葉をそのまま使わせていただいています。毎年、夏に5泊くらいのリトリートを細々でもやってきて、考えたら20年以上になりました。グループで集中してプラクティスすることによって、確実にプラクティスの質がジャンプアップすることを保障します。

日本でも、定期的にリトリートをしていけるようになりたいと願っています。できたら自然の綺麗な、居心地も快適な、そして健康で美味しい食事ができるとことなら申し分ないのですが。日本の方は、忙しいので、2泊くらいから始めるのが現実的かもしれませんね。
将来は海外(バリとかギリシャとかタヒチとか)でも出来るような夢をもっています。今年の夏は、僕はギリシャの島で一週間のリトリートに招待されているのですが、時間の都合がつかないので、遠慮(いや延期)させていただきました。
でも、皆でこういうことができる、そういう本当の意味での贅沢なことが可能だと思います。
強い願いと実行があれば出来るはずです。ぜひ、応援、お手伝いをお願いします。

いろいろ書いてしまいました。長くなって御免なさい。
とりあえずは、7月の中旬に東京でワークショップを行います。
ぜひ、お目にかかれるのを楽しみにしています。
www.taozen.jpに予定が乗っています。

では、Have a wonderful weekend, and Happy Father’s Day!!

Post to Twitter