大内先生と呼ばれること?!
NYに戻って沢山のことを考えています。
今回の日本は、TaoZenにとって、とっても内容の豊富な旅でした。
これをステップに、もっと成長したいと僕自身も、TaoZenも、関係者も感じています。
オーガニックに、内からの成長を大切にしたいと思っています。
いくつも思うことがあります。それを感じたままに、少しづつ書いてみます。
ー先生と呼ばれること。
最近、日本では僕は大内先生と呼ばれることが多いのですが。
これが自然なことなのかなあ?と感じています。当初、日本で教え始めた時には、先生と呼ばれるとなんか、いったい誰?っという感じだったので、出来るだけ大内さんと呼んでもらっていました。
まあ、僕も来て頂いている方を、一般に呼ぶときには、生徒さんと呼んでいるわけで、一方的に僕を先生と呼ばずに!というのも変ですよね。
教える!というのも実は変なんです。僕は大切なことをシェアして、ガイドしている、コーチしている、一人一人が自己発見してより健康により元気に楽しく成長するのを応援しながら、一緒に進んでいる!というのが本当のところです。
まあ、それを教えるというので、それを先生というのだというと、それまでですが、どうも違っている感じがするのです。
先生という言葉には、一緒にしているという感じがないような気がするのです。なにか先生と生徒というのは距離があるような気がする。
先生に答えがあるような気がする。僕の中には、皆の答えはありません、ヒントになるようなものがあるだけです。お互いに刺激をしあって、先に進んでいるのだと思うのです。
そもそも、答えの見つかるようなことをしているわけでもありませんしね。
これも、まあ自然に決まっていくかなあっと、思っていたのですが、このままだと先生に落ちついちゃいそうで。あんまり気にしないほうがいいのかなあ?
なにか良いアイデアはありませんか?
まあ、USのようにMasahiroと呼んでというのも笑っちゃいますけど。
でも、僕のキャラにあっている呼び方がありませんでしょうか?
個々いろいろ呼ばれてもいいのかなあ?
本当は、もっともっと大切なことを、いっぱい感じているのですが、時差ぼけの僕が、こんなことを書いている自分を見つけて、ニタニタ笑っています。
愛犬のペマは、親友の家に預けてあります。今夜くらいには会いにいかないと忘れられられちゃうかなあ。
NYにも帰る、東京にも帰る、秋田にも帰るという、自分の帰るところは本当はどこなんだろう。それは、場所ではなくって、僕の中、そして人の中なんだろうなあって、感じています。
さてと、朝食にベーグルを食べに行きましょ。