NYは、僕を強くした。NYは、僕を大雑把にした。寂しいダイナミックな都会。

NYに戻って、NYについていろいろ考えます。
僕は大人の時間の殆ど(25歳くらいで大人になったという仮定で!)
をこの街で過ごしています。
僕は自分で日本人の中の日本人だという気概があるのですが、最近、日本で過ごす時間が多くなってきて、分かってきたことがあります。
どうも、僕は典型的な日本人ではないようだと、少なくとも現代日本人男性ではないかも?という自覚を持ち始めました。(遅いかなあ?)

自分についてのイメージってあると思いますが、僕が持っている僕自身のイメージと言うのは ?心も身体も繊細でか弱い’?短気で感情的’というのがあるのです。これも最近、どうも違ってきているなあって思ってきています。
NYという街と、タオゼンが、僕の心と身体を結構強くしたようです。
僕自身が強いというイメージがなかったのですが、なかなかヘタバラナイ、疲れない、ちょっとしたことでは、へなれない。と同時に、僕はかなり大雑把で鈍感だということも分かってきた。そうでないとココでは生きていけないのかもしれない。殆ど、自分一人で切り開いて生きてきたわけで、それはそれなりに大変だったはずだけれど、全くそういうものが身についていない。苦労が身につかない、細かいことに気がつかない。これは、やはり相当、大雑把、まあ、無理に言い方を変えると爛漫。
そこの土地や文化が、気がつかないうちに、人の心や身体に影響を与えるんだなあって、感じています。だから、そういうことも意識していかないといけないんだなあと思います。
日本の嫌なところと、USの嫌なところを混ぜたような人間にならないように。

それにしてもNYは、個人にはとても厳しく、寂しい街だなあと、帰ってくる度に感じます。一人一人が戦っています。寂しさを引きずって生きています。自己主張をはっきりしないと忘れられていきます。空気なんか読んでいる暇はありません。(だから僕は空気を読めないのかなあ?気は読めるんですけどねえ)。でもダイナミックなグローバルな街であることは確かです。

このニューヨークに28年ほど住んでいる。深刻な不眠症にもなった、大変な失恋も何度かした、大変な事業の失敗もした、人に何度もひどく騙された、床が傾いていて窓が閉まらず雪が部屋に入ってくるところにも住んだ(合計20箇所くらいのところに住んだんです。
でも、素晴しいことも数限りなくあった。やはり大好きな街の一つです。
こういうNYが、僕の故郷になってしまっているのにも、なんかガッカリというか、ビックリしています。
でも、そろそろ、この街から距離をおいて、旅たつ必要があるかなあって深いところで感じています。

日本は桜ですね。
来年の今ころは、ぜひ日本にいて、夜桜を皆で楽しみたいなあ。
酒を飲めたら、いいだろうなあと思う、瞬間の一つです。

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