祈りと瞑想の違い

この間の観音気功で、クラスが終わってから、無口な感じの大柄な男性が僕に近づいてきて、もぐもぐ質問をしてきました。
”僕は、毎日お祈りをしているんだけど、それと瞑想は違うものなのだろうか?貴方がいう、瞑想のある生き方というのに心を動かされたんだけど、いったいどうしたら瞑想ができるんだろうか?祈りと瞑想が一緒だと言う人もいるけど、どう思いますか?”
とても真面目そうなビジネスマンという感じの方でした。
立ち話で、しかも次のクラスもあったので、ゆっくり納得いくまでお話ができなかったのですが。
僕の咄嗟の答えは、
”祈りには方向があるけど、瞑想には方向とか意志がない。祈りは瞑想の一部にはなるけど、祈りが消えてからが、本当の瞑想だ。”
でした。

自分で答えておいて変な話ですが、実際にそうだなあって自分でも納得した答えでした。

瞑想は、祈りが消えてから、意志が消えてから、なにか企みがなくなっている状態だと思います。

ほんの少しでもいい、全く企みも、方向性もない、そういう大きさをに自分が包まれる。そうして、自分の小さな世界から、突き出てもっと大きな流れ、力を一緒になったときが瞑想の始まりだと思います。

毎日、ちょっとした瞬間でもいい、そういう瞑想の瞬間のある生き方を目指しています。
そして、それは、難しいことではないと信じています。

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