Fukushima。福島市。南相馬市。飯館村。(その3)

飯館村に行こうと、地図でもっとも近そうな道を選んだつもりでした。

ところが、最初は良かったのですが、その道は、ほとんど車でおこなう登山状態。ぐねぐねした細い山道、しかも舗装も途中からなくなってしまって、クロスカントリー・レースみたいな状態。他の車も見ないし、これで雨でも降ってきたら、大変なことになりそうという感じでした。でも、携帯の電波は健全なので、これは安心。

本当に山も緑も深い。空気がとても美味しい。なのに、ガイガーカウンターは5.39。この辺のキノコとかも駄目ということかなあ。高度が上がると放射線は大丈夫というようなことも、結構怪しいのかもしれません。

ようやく、飯館村に着きました。そしたら、今来た道には入らないようにと言う表示がありました。でも、僕らが来た方向からは、なにも表示がなかったのになあ。でも、普通にローカルの車一台、その道に入って行きました。これは放射線とは関係ない立ち入り制限だと思うのですが。

飯館村は、裕福そうな村。どの家も大きな構えと大きな農地。でも、今は人っけはほとんどありません。自販機も動いていません。ビニールハウスのビニールは取られていて、ぼうぼうと草が生えています。時々、まだ住んでいる気配の農家を見たり、ローカルの車にすれ違います。のどかで、平和な農村のシーンなのに、どこかが違う!ヒッチコックの映画の一シーンのような感じを受けました。

ここも空気がとても美味しい。数値は、5.50 (Raeでは、8.62)。8,62だとしたら、単純計算では年間、74ミリ以上。これは、もういけません。花が綺麗に咲いているのが、心を痛めます。

勿論、空気が良いということと放射線の量とは、関係がないのは、分かってはいます。それでもやはり身体が頷けないものがあります。ここでマスクをする気持ちには、なかなかなりません。石巻の匂いは、身体に緊迫感を走らせました。でも、この辺りの空気の良さと平和な景色には、いたたまれない不思議な想いと深い恐怖が走ります。

福島駅で、帰りの新幹線を待つ間に、ホームで愉快な駅員さんといろいろな話をする機械がありました。

「我々のような年齢ならば、ここに居続けてもいいけれどねえ。子供たちや若い人たちには、できたらすぐにでも出て行って欲しいよねえ。国の判断なんて待ってないでねえ。」

大きな声と笑顔が素敵な駅員さん。その笑顔が却って、僕の心を痛めます。

この国は、そして僕たちは、多くの人たちが癌になっていったり、多くの子供たちが苦しんでいくのを、仕方がないということで片付けて行くのでしょうか?いつの時代でもどんな社会でも、犠牲者は沢山でます。でも、今回もそれですましていいのでしょうか?

なんにもないようにして平常にして暮らしていって良いのでしょうか。でも、じゃあなにをすることが出来るのでしょうか?

その夜は、東京に戻って、瞑想のクラスでした。でも、この話をする気持ちにはなれませんでした。どう言葉にするべきかが見つかりませんでした。こういう時に、皆と瞑想をすることは、とても有意義でした。

今回の震災や、原発のことをきっかけに、もっともっと良い社会に向って行きたいと、個人的にももっと積極的に生きていきたいと、願っている人が多いはずです。僕もその一人です。

一人一人が、それぞれのレベルで、本来の自分を見失いようにしながら、考えたり、感じたり、行動したり、表現したり、そういうことを諦めずに続けていこうとするしか出来ません。そして、それがパワーになるんだと信じています。

飯館村に咲いていた野花。

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