瞑想(メディテーション)とリラクスゼーションと集中(コンセントレーション)との違い

僕の想いを書いたブログにいろいろ応援の声をいただきました。調子にのって、瞑想への想いも書いてみます。

瞑想 meditation とリラックスrelaxationと集中 concentrationは似ているけれどはっきりと違うものです。

リラックスしているというのは、身体と心が緊張せずに、くつろいでいる状態です。この状態は身体も心も緩んでいる感じ。注意力や観察力なども緩んでいます。身体も心もここに完全にはいない感じです。心も身体も委ねているところは瞑想と同じで、不必要な力が入っていないところも同じです。しかし瞑想は、心も身体もすっかり、ここにいる、むしろ、普段よりも充分にここにいるという状態です。覚醒状態にあるけれど、完全に委ねている状態です。

集中しているということは、ある一つの事、ある一つのポイントに心と身体が集まっているという状態です。一つのことに関して、思考力も感覚も感性も覚醒している状態です。瞑想は、ある事、ポイントだけに覚醒している状態ではなく、出来るだけあらゆる方向に心と身体が覚醒していて、しかも、同時になににも執着していない状態です。

瞑想に入っていくためには、リラックスと集中が必要です。身体の力を抜いたり、呼吸法をしたり、集中したりする瞑想方法は、実は、瞑想に入るための準備段階です。本来の瞑想状態に入るためには、そういう段階が必要です。瞑想のエキスパートというのは、そういう準備段階が短くてすぐに瞑想に入る事ができて、そこに長く留められるという人のことです。そして本物の瞑想者は、すべての生活が、すべての行動が、瞑想状態とともにある人だと思います。もちろん、僕のような凡人には、それを目指すというよりは、とにかく心を込めてなにもしない状態の瞑想を毎日すこしずつ訓練していくことだと思っています。あとは、成るようになる。成らなければ何とも成らない。そんな感じでしょうか。

瞑想を続けることによって、リラックスすることや、集中力が養われますが、それは、オマケのようなもので目的本来ではありません。

呼吸法じたいや、瞑想方法じたいが瞑想だと思われる人がいますが、それはツールです。道具です。道具に凝る人もいますし、集める人もいます。それはそれで結構だとは思いますが、道具でなにをするのかを見失いたくないと思います。

良いカメラを持っているから必ずしも素晴らしい写真を取れるわけではありません。素晴らしいキッチンがあれば、素晴らしい料理が出来上がるわけではありません。ある程度、良い道具は必要ですし、目的にあった道具が必要ですが、それだけにこだわるのでは、本来の目的を見逃してしまいます。常に、何のためか、を確認している必要があります。

Post to Twitter