目的地も方向も位置も、分からずにただ砂漠を歩く。それは、大きな瞑想だった。
- 2013.11.11
- その他
毎日ひたすら歩くのだけれど、一体どっちに向かっているのか、どこにいくのか、道もないし目印になるものもない。
どのくらい歩いているのかが、全く分からない。
これが、最初は不安だけれど、これがたまらなく素晴らしくなってくる。
携帯も通じなくなるというのでワールドGPSみたいなものを買うかと思って日本で探したけれど、それが簡単には見つからないということが分かった。
そこで、多少役にたつかと思って、pro trek という方向や温度や気圧や高度を測れる、しかもソラーババッテリーの時計を購入して出かけた。
ただこんな複雑な時計を使いこなすのは、僕には実は難義の技で、現地の時間にするだけでも結構大変だった。
自動に電波で時間を調整してくれるのだけれど、なぜかチェニジアでは油断するとパリ時間になっていたりしてしまう。
最初はこの時計で時々方向を確認したりしていたけれど、真っすぐに一方向に歩いているわけではないので、良くわからなくなる。
(この時計が活躍したのが、実はパリだった話は、またいつか。)太陽の位置で予想したほうが、まだ良い感じだ。
それにしても、かろうじての磁石をもっているのは僕だけで、あとは頼りにならない携帯を持っているだけだ。地図もない。
ガイドのアリに聞く。
どうやって何処にむかっているのかがわかるか?
道はあるのか?
僕たちが、今どこにいるのかは分かるのか?
彼の答えは、どうやって説明したら良いかは分からないけれど、どこにいるのか、どの方向に向かっているのかが分かる、と言う。
(もっともそうじゃないと僕らは困るというか、サバイブできないことは明確だ。)
何年まえかフランソワたちが十数人のグループで砂漠にきたことのこと。
4WDで夜飛ばして、砂漠の奥から始めた時に、
車のドライバーが飛ばしすぎたのか、メインのガイドが、どこにいるかが分からなくなったことがあったらしい。
その時にサポートのガイドの1人だったアリが、外に出してほしい、少し歩くと分かると思うと言って1人でしばらく歩いた。
そして自分たちがどこに居るかが分かったことがあるという。
車の中ではどうしても、分からないらしい。
それ以来、フランソワはアリをすっかり信頼して、毎年彼をガイドにしている。
風がふくと砂漠の景色が変わってしまうのだけれど、それでもいろんなところにそれなりの名前もついていると言う。
そういう中で自然に方向や位置が分かるのは、砂漠で育たないと分からないもので、今の若い世代では殆どなくなってしまっているそうだ。
近い将来には、精密なGPSかなにか機械がナビすることになるのは間違いない。
どこまで行くのか、どのくらいの距離かを聞いても仕方がないので、
僕たちはとにかくついて歩いていく。
これが、不思議に深い安心感をもたらす。
今回の砂漠の旅での、醍醐味はここにあった。
目的地なしに、とにかく大自然に溶け込んで歩く。
他になにか考えようとしても、殆ど出て来ない。
まさに、歩く瞑想だ。瞑想に大きいとか小さいとかあるとしたら、大変に大きな瞑想だ。
(続く)