30時間の沈黙のプラクティス。 言葉を使わない一日が楽しい。
- 2014.04.05
- その他
僕のリトリートでは、沈黙の日を必ず設けている。
今回も、約30時間ほど、皆一言も話さないだけではなく、口から音もださないようにした。
なぜそんなことをするのか?
いくつかの理由がある。
1)僕たちは、とにかく余計な雑多な会話を自分の中でもいつも行なっている。それに気がつき、その雑多な内なる会話を一日でも止めてみようという試み。
2)深い瞑想の体験は、沈黙の中から生まれることが多いということ。
3)言葉を通さないコミュニケーションを生に共有したい。
4)とにかく楽しい。単純に楽しい、一緒にいるだけで楽しい、ということは良い事だ。
毎回、沈黙の日を設けるけれど、この後にとにかく皆が急激に仲良くなる。
英語が得意じゃないヨーロッパ人、日本人もこの日は、本当に気楽だし、本来の原初的なコミュニケーションは言葉ではないことに気がつく。
僕も沈黙だから、太極拳も、瞑想も、気巧もなにも話さないで教えるわけだ。
大体の基本を既に習って来ていることもあってか、そして言葉が無いぶん、却って集中するのか、とにかくグーンとレベルアップした。
今回のグループは、どこまで行くのが心配だったのに、沈黙の日が終わったころには、もう殆んど学ぶべき型は90%終わってしまった。
だから、残る3日間は、とにかく復習と瞑想に集中できた。
そして、沈黙の日には、僕はわざと新しいタスクを作ることにしている。
今回は、色鮮やかな小型トラックのようなローカルのタクシーで、湖に行っての太極拳と気巧と瞑想。
皆で行なうゲームなど。
一緒に沈黙で食べる食事も面白い。
断食道場などでは、おしゃべりをしないでゆっくり食べると、より美味しいと言うし、僕もそう思ったこともある。
けれど、今回は、食べる時はやはり言葉でなくても音をだして、美味しさを共有するほうが、笑いながら食べるほうが楽しいと実感した。
とにかく沈黙の日は、今回も、僕たちにとっては、大きな成長と発見の日だった。