東京とニューヨークのクリスマスの違いは「祈り」にある。

東京とニューヨークのクリスマスの違いは「祈り」にある。

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日本のクリスマスシーズン、ホリデーシーズンは、不思議だ。

特にキリスト教徒でもないのに、街はクリスマス一色になる。

今やお歳暮ではなくクリスマスギフトの方が重要な感じだ。

そして、25日が過ぎると、あっという間に新年の飾り付けになる。

日本本来の旧正月はすっかり影を潜めてしまって、グレゴリー歴の新年になっている。

昔は、綺麗な服で着飾って親戚や仕事関係を回ったけれど、今はそういうことはほとんどしない。いつが鏡開きかが分からなくなった。でも福袋だけは派手にやっている。

表参道は、特に綺麗にライトアップされていている。商業主義だとは分かっていてもワクワクする。平和な感じだ。

ニューヨークで32年住んでいてのクリスマスシーズンは、かなり違ったものだった。僕にとっては、かなり厳しいことが多かった。

サンクスギビング(感謝祭)から新年まではホリデーシーズンだ。メリークリスマスとは、NYではあまり言わない。ユダヤ人の祭りやアフリカンアメリカ人たちの祭りなどもあり、回教徒もいるからだ。

家族中心であり宗教に基いたフェスティバルが続く。

その中で気がついたら独りぼっちを強く感じることが多かった。あるいは誰かの家に誘われて参加するのだけれども、それがかえって孤独感を味わうことにもなったりする。

僕のような人懐こいというか、人が好きな人間でも大変な落ち込みになるということは、そうでない人はきっともっと深いものがあるのではないかと思う。こういう強い孤独感に陥ったと時にNYには支えるものがない。NYは、生きるには厳しい大都会であることは確かだ。僕が外人だからではない、だいたいNYに10年以上住むともう外人ではない。どんどん移住してくる人が多い中、外人という概念はすぐに消えてしまうところがNYのパワーだ。

一見ホリデーシーズンが表面的にはとてもコマーシャル的に見えるのに、驚くことは実はかなり精神的というか宗教的だということだ。クリスマスギフトの意味や重みも違っている。ほとんどの人が本当に受け取る人のためのことを悩んで吟味してギフトを決めている。祈りの重さも違っているということを毎年感じた。

このシーズンに自殺者が多いことがよく理解ができる。家族や友人ということの大切さを本当に痛いほど感じる時でもある。人間がどこかに所属している感じ、あるいは大切な人と本当に心が通じているということの大切さを痛感させられる時だった。

そして良いかどうかは別にして、世界の多くの人が祈るというパワーをしみじみと感じる。それが空気感として感じるくらいにはっきりしている。クリスマスイブの深夜のミサに参加すると特に集合体としての祈りを感じるけれど、ロックフェラーセンターに行くだけでも、表参道のイルミネーションとの違いは咄嗟に感じるはずだ。

東京のクリスマスは気軽な感じだ。それが嬉しいような、物足りないような。僕にとっては、やはり物足りないという方が正直な感じだ。とにかく皆んな忙しいようだ。そして魂が響くような瞬間は除夜の鐘の時だけのような気もする。

僕にとっての今年のホリデーシーズンは、「祈り」というものをもっと見つめ直すことかと思っている。

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