秋田に来ています。地方都市に来ると憤りを感じることがある。

秋田に来ています。実家の仕事もしているので、現場を見に来たのと、市役所の人たちとのミーティングのために来た。

雪が結構凄い。

寒々とした秋田新幹線のホーム

秋田に帰ったり、日本の地方に行くと、きまって憤りを感じることがあり。僕が日本を離れたのが30年前。その間に日本の大抵の地方都市は、良くなったというよりは、元気がなくなってしまった。地方文化には自信を無くし、街には活気がなくなり、経済的にも苦しくなったところがほとんどだ。

秋田なんかは、高齢化が深刻、街の空洞化も深刻だ。大抵の地方都市は、市役所とか県庁とか、学校とか、病院という地方では最も大きな企業(?)を市街地から郊外に移動した。そうすると街が空洞化することが歴史的に証明されているに関わらず。そして、バイパスやハイウエイをやたら作ると、街が空洞化することも、アメリカなどで証明されているにも関わらずに高度成長と称して、どんどん行った。秋田などでは、人口が増えていないのに、車も増えないと知っているのに、まだやっている。郊外から、官庁街に10分くらい早く着くために多額の税金をつかって、市内の真ん中にトンネルを作った。空港から市街まで、今でも交通が込んでいないのに、立派な道路を作っている。そして地方経済は、どんどん難しくなってきている。文化も、なにか薄っぺらなものになってきている。

どうしてこうなってしまったのだろうか?いったい30年間で、日本は本当に豊かになったのだろうか?

街が一度、空洞化すると、なかなか戻らない。ちょうど、森が切り開かれてしまうと、森はなかなか帰ってこないように。壊すのは、数年で出来るけれど、作り上げるのは、長い歴史が必要だ。郊外のショッピンプセンターは、街ではない。あれは、どこに行っても同じ、人口の味気ないアメリカ的な商業施設だ。

どうして、こうなってしまったのだろうか?しかも、まだ続けているのだろうか?

いろんな理由があるとは思うけれど、政治に責任が大きいと思う。戦後の急成長は素晴らしかったようだけれど、この30年くらいは、いったい日本はなにをしてきたのだろうか?

長い眼で日本を、日本人を、日本文化を、そして世界を考えるようなビジョンを持った政治家がすくなすぎたのではないだろうか?それは、僕ら一人一人に責任のあることでは、あるけれど、やはり政治という問題が大きかったと思う。

昨年から、日本で過ごすことが多くなった、僕は、つくづく、憤りも責任も感じる。我々の世代でなんとかしたい。これから、どんどん変化の激しくなる世界を考えると、本当に人間を大切にした街作り、教育、老後など、いっぱい考えないといけないことが山とある。

こういう時にこそ、政治は大切だ。なのに、今の国政も、地方自治体も、なにか熱のある志というものが感じられない。

なにか微力でもなにか一人一人が出来ることがあるはずだ。そんなことを考える、半分外人の僕です。

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